第1組曲ジーグの「無視された半小節」は、ぼくが「無伴奏チェロ組曲」の自分の版を作るきっかけであったし、またもっとも反響の大きいものでもあるので(→ブログ本館の旧記事)、ここに説明を追加しようと思う。
ぼくが一番感じるのは「半小節」への偏見である。差別と言い換えてもいいかもしれない。半分の小節なんておかしい、というわけである。これが20世紀以降の音楽だったら誰もそんなことは言わないだろう。だったらどうしてバッハの音楽に半小節があったらおかしいのだろう。誰かそれをちゃんと説明できるだろうか?
「半小節」への差別があまりにも大きいので、アンナ・マグダレーナ・バッハ(以下AMB)の筆写譜に小節線を書き加えて、ジーグ後半のすべての小節を「半小節」にしてみた。つまり8分の6拍子を8分の3拍子にしたのである。これで例の「半小節」も立派な「完全小節」になる(笑)。
さて「半小節」がおかしいという人は、バッハがもし上の図のように8分の3拍子で書いていたとしても、やはり例の小節が余分でおかしい、と言える自信があるだろうか?おそらくないだろうと思う。結局見た目に惑わされているだけなのである。
また強拍と弱拍の混乱は、前記事で述べたように第28小節以降に起こるだけでなく、実はもう少し前にも起こっている。23小節後半と24小節前半で同じ音形が繰り返されているが、そのため23小節と24小節前半とが合わさって、8分の9拍子のように感じられるのである。このことも半小節の必要性の遠因となっている。
楽譜にすると次のようになる。
ただしこれは、8分の9以降がこのように小節割りされるという意味ではなく、このような強拍と弱拍との混乱が潜在的に影響を与えているという意味である。
さらに写譜上の観点から見ると、この半小節がミスである可能性はまずないのである。一つはAMBのこのようなミスが少なくとも 「無伴奏チェロ組曲」には他に無いことである。似たようなものはあり、例えば第6番のプレリュードの第5小節で4拍目を書き落としている。ただし後で修正されているが。
しかしこれは「書き足りない」例であり、1番のジーグのように「書き足されている」のではない。また書き足された例としては3番のジーグ及び5番のジーグにあり、どちらも同じ小節を2度書いている。
3番ジーグ(上段一番右と下段一番左の小節)
5番ジーグ(同上)
しかしこれらは筆写譜側で段が変わっている時に起こっており、ミスの原因がはっきりしている。1番のジーグのような段の途中で「書き足される」ミスというのはきわめて考えにくいのである。しかもその音形は直前直後にある音形とは異なっており、最初の2つの8分音符は次の小節の最初の2つと同じで、3つ目の音符は前の小節の最後の音符と同じなのである。果たしてこのような「凝った」ミスをするものだろうか?