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2017年3月26日日曜日

奇妙な和音?


~「平均律」にもマタイ受難曲にもあるこの和音のどこが奇妙なのか?~



もういい加減にしろ!という思いから、無視されたリュート組曲 からこの項目を独立させることにした。正直言って、バッハ研究者には資格試験を施す必要があるのではないか、と思う程である。

第5組曲アルマンドの第25小節冒頭の和音は、歴代のチェロ組曲校訂者の無知によって馬鹿げた改変が今もなお続けられているのである。

冒頭の和音とは次のようなものである。

 ケルナー:
 
   アンナ・マグダレーナ・バッハ(以下AMB):


 C資料:

 D資料:

 パリ初版譜: 

ケルナー以外はスコルダトゥーラ(変則調弦)表記なので、一番上のB♭は実際に鳴るのはA♭である。すなわちこの和音は下からG-D-A♭という、それだけでは確かにやや奇妙に響く和音である。そのため最低音のGは歴代の校訂者たちによってB♭に改変されて来た。最初にこの改変を行ったのはドッツァウアー(1826年)である。


そしてこの改変はグリュッツマッハーにも受け継がれ、旧バッハ全集(1879年)までが採用して決定的なものとなる。

ところで第5組曲はバッハ自身が後にリュート用に編曲している(BWV 995)。そこではバッハはチェロよりも弦の多いリュートの特性を生かして、次のように5つの音を書いているのだ。このリュート用編曲ではチェロ組曲の調(ハ短調)よりも5度高いト短調に移調されており、上段はテナー譜表に、下段は通常のバス譜表(ヘ音記号)に書かれている。従ってその構成音はD-F-A-C-E♭である。 

 リュート組曲(2段に分かれたものを合成):


わかりやすいように、チェロ組曲と同じハ短調に移調してみよう。構成音はG-B♭-D-F-A♭となる。


バス音はチェロ組曲同様Gであり、その上に3度間隔で4つの音が重ねられている。ただこれだけでは何だか密集した音の塊にしか見えないだろう。そこで次の図を見ていただきたい。

 ハ長調に移調したもの。

上の図で(変ホ長調、ハ長調共に)、左の方はトニック(音階の第1音)の上にドミナント7(いわゆる属7、音階の第5音の上に3度、5度、7度の音を積み重ねたもの)の和音が乗っかっているが、これは非常によく使用される和音である。一番分りやすい例は、第1組曲プレリュードの第3小節(G-F♯-C)であろう。

そしてこのアルマンドの和音は、そのバス音が上の図の右側のようにトニックの代わりに音階の第3音(メディアント)になっているのものなのである。バス音がトニックの場合に比べてまれではあるが、バッハの他の作品にも見られるものである。それぞれ黒い音符で示した和音に解決される。

しかしそれにもかかわらず、20世紀のスタンダードと言うべき、ヴェンツィンガー版などは校注で、AMBもケルナーもリュート組曲(つまりバッハ自身!)もみんな間違っていると言ってのけている有様なのである。

ドッツァウアー以降でこのバス音Gがちゃんと正しく書かれたのは1988年の新バッハ全集版(ハンス・エプシュタイン校訂)がおそらく最初であろう。その後はイッキング版、ヘンレ版、ウィーン原典版など、このGを書く版も多くなって来た。

しかし、ここに来てこのB♭が亡霊のように復活してしまったのである。しかもあろうことか、エプシュタインが百数十年ぶりに正しく直した新バッハ全集のその改訂版においてなのである! そこで校訂者(Andrew Talle氏)は「奇妙な和音」(the bizarre chord)などと言っているが、奇妙なのは校訂者の方であって、何の権利があって自分がわからないからと言ってバッハの書いた音を勝手に修正するのか?なぜ同じ和音がバッハの、あるいは他の作曲家の作品にないか探そうとしないのか?あるいはより和声に詳しい他の音楽学者や作曲家などに尋ねてみようとしなかったのか?


さてこの和音のバッハ自身の使用例を見てみよう(もちろんチェロ組曲とリュート用編曲を除いてという意味だが)。ぼくは今のところ10個の例(14ヶ所)を見つけている。 探せばもっとあることは確実である。また確かな根拠があるわけではないが、この和音は何となくフランス趣味のような気がするのでフランスの作曲家の作品の中にあると思い、フランソワ・クープランの作品を調べてみたところいくつかの例を見つけた。まずはそちらから紹介しよう。

第2オルドル(Second Ordre)より、アルマンド"La Laborieuse" 第23小節。


ルソン・ド・テネブルより「二声による第3ルソン」"Mem"。


以下はバッハの作品より

「平均律クラヴィーア曲集」第1巻第7番、変ホ長調プレリュード、第18、21、50小節。


「平均律クラヴィーア曲集」第2巻第3番、嬰ハ長調プレリュード、第11小節の最初の和音。上の2段はわかりやすいようにハ長調に直したもの、下の2段はバッハ自身が書いたこの曲の原型(BWV 872a)である。


同じく 「平均律クラヴィーア曲集」第2巻より、第16番ト短調のプレリュード、第12小節1拍目。これは(この部分では)チェロ組曲と調も同じなので解りやすいだろう。


もう一つ「平均律クラヴィーア曲集」第2巻より、第21番変ロ長調のプレリュード、第58小節。


フルート・ソナタ ロ短調(BWV 1030)、第2楽章第13小節(バッハの自筆譜)。


 「マタイ受難曲」終曲の第11小節冒頭。一瞬ではあるがこれも調が同じである。第23、91、103小節も同様。


もう一つ、「ミサ曲ロ短調」よりグローリアの第56小節。合唱部とバスのみ。器楽部は省略。この例は速すぎて、耳にはほとんど気づかれないが(笑)。


同じく 「ミサ曲ロ短調」よりクォニアムの第14小節と第91小節(音楽的に同じ。ここでは第91小節を載せる)。


まだまだ見つかりそうだが、これ以上探す必要があるだろうか?このようにバッハ以外の作品にも、バッハの他の作品にいくつも使用されている和音であり、この「奇妙な和音」がバッハの意図したものであることに疑いの余地など全くない。改変など言語道断である。またお持ちの楽譜がB♭なら直ちに修正していただきたい。

自己評価 G(100%) ★★★★★ B♭(0%)

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2016年1月14日木曜日

気付かれなかったA

~スコルダトゥーラはややこしい~


今日久しぶりに第5組曲をスコルダトゥーラで弾いていて、ふと「この音はひょっとして、、、」と思いつき、どうやらこれまで誰も気付いていなかったことに気付いたようである。しかしこれは今までの楽譜校訂者が悪いとは言い切れない。スコルダトゥーラのせいである。

スコルダトゥーラとは通常の調弦とは異なる変則調弦のことであり、第5組曲では一番高いA弦を2度低いGに調弦する。これによってD弦との音程が4度になり、通常の5度調弦よりも密集した和音が弾きやすくなる。通常の調弦では実際のところスカスカした和音しか弾けないのである。 ヴァイオリン族は本質的に旋律楽器であり、和音楽器ではない。

さてここで変則調弦された弦の記譜法がややこしいのである。楽譜には実際に鳴る音が書かれていないのだ。奏者はまるで変則調弦などなかったかのように弾かなければならない。例えば楽譜にDの音符が書かれているとする。奏者は通常の調弦の時と同じDの位置を指で押える。しかし第5組曲の場合で言えば2度低く調弦されているので、実際に鳴る音はCである。

ところが変則調弦されていない他の弦は普通に記譜される。そのためその境目にある記譜上のAやBの音はどちらの弦のために書かれてあるのか、実音なのか、実音より2度高い記譜上の音なのか判断が難しくなるのである。いわば変則調弦された弦だけが移調楽器のように書かれるのである。ここまで書いただけで胃腸の調子が悪くなりそうである。

ケルナーはオルガニストで作曲家であり、自分の研究のためにバッハの曲を写譜したので、この第5組曲は原譜通りではなく実音に直して書いている。ところが彼にはよほど難しかったのだろう。ミスだらけなのである。


さて何の音に気付いたかと言うと、プレリュード第170小節の最初の(記譜上の)Aの音である。

 アンナ・マグダレーナ・バッハ:


従来この音はスコルダトゥーラされた第1弦の開放弦、すなわちGだと考えられて来た。例えば上に書いたケルナーもGだと思ったのである(やや読みづらいが、上の2本の線は加線である。つまり一番上の線にある音はE♭)。


しかしそれでは音楽上おかしいのである。つまりその次の小節から5小節にわたってハ短調のドミナントであるG音がペダル音(保続音・オルゲルプンクト)として鳴り続けるのだが、そのG音がペダル音が始まる前に聞こえてしまってはその効果が台無しになってしまうのである。これはタネが見えてしまっているマジックと同じだと言えばよくわかるだろう。

ペダル音の始まる2つ前の第169小節はF♯-(A)-C-E♭の減7の和音であり、ハ短調におけるドッペルドミナントになっており、第170小節もそのままドッペルドミナントであれば音楽的に理にかなっている。

そして事実、第170小節もドッペルドミナントであり、頭の音はスコルダトゥーラされた第1弦のためではなく第2弦(D弦)のために書かれたのであり、実音は当然記譜音と同じA(ナチュラル)なのである。

3つの視点から見てみよう。1つはこの楽譜そのものからで、もし第170小節の頭の音がGならば、第167小節(上のAMBの楽譜、最初の2つの16分音符の次の小節)も第170小節もまったく同じになるが、頭の音が第167小節では第2弦のために書かれ、第170小節では第1弦の開放弦のために書かれる理由が見当たらない。また第166から第169までの4小節間、各小節の頭の音はすべてD弦のために書かれている。その流れからして第170小節だけが第1弦のために書かれているというのもおかしな話である。

2つ目はバッハ自身によるリュート編曲版(ト短調)である(第167小節から)。


わかりやすいようにハ短調に移調してみよう(第166小節から)。


リュート組曲では原曲に無い低音が付加されており、そのため第170小節の頭の音はD(原調ではA )に変えられているが、和音としてはまさしくドッペルドミナントである。
 

もう一つ、それはここの部分が5小節の区切りになっていることである。ここでは第166小節から4小節弾いた後、第170小節を飛ばして第171小節に直接飛び込んでも音楽的にはおかしくない。それをわざわざもう1小節付け足しているのは緊張を高め、次のオルゲルプンクトでその緊張を一気に解放するためである。 つまり第170小節は第169小節の延長、いわば「ダメ押し」であり、同じ和音であるのは当然なのである。

以上の理由により、この音が実音Aであることは疑いの余地がない。

気付いてみれば音楽的に当然の進行なのに、なぜこれまで誰一人として気付かなかったのだろうか?無視された重弦などと違い、これは楽譜が変えられたわけではない。ただどちらの弦のために書かれたのかということを誰も深く考えてみなかっただけのことである。

リュート組曲にしても、ヴェンツィンガー版(1950年)やマルケヴィッチ版(1964年)が取り上げているのだから、その存在がチェリストに知られるようになってすでに60年以上になるのである。 

自己評価 A (5) ★★★★★ G (0)

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2015年8月7日金曜日

無視されたリュート組曲

 

~せっかくの自筆譜なのに~


バッハのリュート組曲ト短調(BWV 995)は「無伴奏チェロ組曲」第5番ハ短調のバッハ自身による編曲であり、これには自筆譜が残っている。
http://imslp.org/wiki/Suite_in_G_minor,_BWV_995_%28Bach,_Johann_Sebastian%29
自筆譜が失われた「無伴奏チェロ組曲」にとって、これはまたとない貴重な資料である、、、





はずなのだが、、





どういうわけか、これが全然活用されていないのである。例えば、

プレリュード193小節、3番目の音はほとんどの出版譜がGになっているが、これは実はA♮なのである。

 ケルナー(最後の音A♮は実音で書かれている):


  リュート組曲:  上段はテナー譜表、下段はバス譜表で書かれている。しかし上段はこのままハ短調で書かれたバス譜表として読める。


 アンナ・マグダレーナ・バッハ(以下AMB/最後の音はスコルダトゥーラ(変則調弦)で書かれていて、実音はA♮):

 
 C資料(D資料も同様):


もし、リュート組曲がなければ、ケルナーとAMB(及びC、D資料)との違いはバッハ自身による改訂の結果という可能性もないではないが、リュート組曲がA♮である以上、AMBのミスと考えて間違いない。それによく見ると、AMBは書き直しているのが分かる。これはGと書いた後、Aと書き直したのだろう。ただその際書き直すことに気を取られてナチュラルを付け忘れたのだと思われる(バッハ自身が書き忘れた可能性も無くはない)。

ただおもしろいことにパリ初版譜(1824年)ではA♮になっている。資料がそうなっていたのか、資料はGだったのに直感で直したのかはわからないが、おそらく小節最後の音がA♮だったので単純にそれに合わせたのだろう。

自己評価 A ★★★★★ G (0)

また、アルマンドの第25小節、2つ目の4分音符に相当する場所のリズムは、ぼくの知る限りすべての出版譜で8分音符1つと16分音符2つになっているが、これはAMBのミス以外の何ものでもない。ケルナーとリュート組曲は共に16分音符2つと8分音符1つのリズムになっている。AMBのリズムではあまりにも野暮ったい。

これもせっかくのリュート組曲が生かされていない例である。またC、D資料がAMBの子孫であることがわかっていないから、なんとなくAMB以外もそうなっているからと、多いほうに傾いてしまった例でもある。

 ケルナー:


 リュート組曲(2段に分かれたものを合成):


 AMB(C、D資料も同様):



注)

これより以下は新しい記事として独立させたので、そちらをご覧下さい。→ 奇妙な和音?

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それから次はほとんど許せないレベルであるが、同じ小節の頭の和音について、そのバス音はほとんどの版がB♭になっている。どうしてそうなったのか全く理解不能なのだが、これはすべての筆写譜、そしてリュート組曲もGなのである(AMBの和音の一番上の音はスコルダトゥーラ表記のため、実音はA♭である)。

上のリュート組曲の楽譜をわかりやすいように、ハ短調に移調してみよう。


チェロ版とリュート版と比較すれば一目瞭然だが、チェロ版では弦の数が少ないために和音の音が省略されている。そのために何の和音なのかチェロ版だけではややわかりにくいかもしれないが、これはそんなに難しい和音ではない。
 

上の図で、左の方はトニックの上にドミナント7(いわゆる属7)の和音が乗っかっているありふれた形だが、そのバス音が右のようにトニックの代わりに第3度音になっているだけ なのである。バス音がトニックの場合ほど多くはないが、たまに使われるし、ましてや楽譜の校訂者がこの和音がわからないなんて言語道断である。

ヴェンツィンガーなどは校注で、AMBもケルナーもリュート組曲(つまりバッハ自身!)もみんな間違っていると言ってのけている有様である。これが1950年の時点での無伴奏チェロ組曲研究の状況だったのである。

この和音の使用例として、バッハ自身の他の作品から2つの例を挙げてみよう。

「平均律クラヴィーア曲集」第2巻第3番、嬰ハ長調プレリュード、第11小節の最初の和音。上はわかりやすいようにハ長調に直したもの、下はバッハ自身が書いたこの曲の原型(BWV 872a)である。


「マタイ受難曲」終曲の第11小節冒頭。一瞬ではあるが調も同じで、紛れもない同じ和音である。


最近の出版譜では、イッキング版とヘンレ版はちゃんとGを書いている(もちろん横山版も)。

自己評価 G ★★★★★ B♭ (0)

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