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2017年10月9日月曜日

自筆譜があっても


バッハの「無伴奏ヴァイオリンのための6つのソナタとパルティータ」(BWV 1001-1006)には自筆譜が残されている。「無伴奏チェロ組曲」の解読に日々悩まされる者にとってはまことに羨ましい限りだが、しかしながら自筆譜だからといって何もかもがすべて明白というわけではない。

「無伴奏ヴァイオリン」の冒頭の曲、ソナタ第1番のアダージョは、その流れるような自筆譜の美しさからしばしばTシャツやバッグなどのデザインになるが、ふと第13小節の後半のスラーが気になった。


3拍目のスラーは高いa♭から始まるが、その終わりはどこなのだろう?低いf♯からやや離れた所で途切れているが、その先端はgを目指しているのではないだろうか?また4拍目のスラーはどうだろう?一見やや離れたe♭をも含むように思うかもしれないが、よく拡大して見ると先端がカーブしていて明らかにdから始まることを示している。つまりここでは4拍目のe♭だけが独立していて、他の音はすべてスラーが掛かっているのである。

楽譜で示してみよう。よく理解できるように前後を少し多めに入れておいた。


バッハはボウイング記号を書いていないが、実に緻密に考えられているのがわかるだろう。小節の頭、和音などアクセントのある音がダウンボウで弾かれるようになっている。注目すべきは先ほどのe♭と第14小節3拍目後半のトリルの付いたb♮で、どちらも拍の頭にはないがアクセントのある音なのでダウンボウになっているのである。

出版譜、と言ってもインターネット上で確認できるものだけだが、調べてみたところこの解読と同じものは無かった(あればお知らせ下さい)。3拍目のスラーは1958年の新バッハ全集版ではf♯で終わっており、4拍目のスラーはdから終わりまでなので、もし第14小節の頭をダウンとするならボウイングが合わない。


またレオナール(Hubert Léonard)版のように、gまで掛かっているが、4拍目はe♭から始まって、第14小節の1拍目はすべての音がスラーで結ばれているものもある。


このように自筆譜が残っていてもその解読は様々である。

またバッハの自筆譜に由来する筆写譜もバッハのスラーを忠実には写し切れていない。

   アンナ・マグダレーナ・バッハ: 


3拍目のスラーはおそらくはf♯を目指しているのだろうがcの上で終わっているし、4拍目は明らかにe♭から始まっている。

   ケルナー:

3拍目はf♯までのつもりのようだが、4拍目はやはりe♭からである。

   ゴットシャルクEmanuel Leberecht Gottschalck)による1720年の写譜:


ケルナーとほぼ同様。

   ヴァーグナー(Georg Gottfried Wagner/バッハの弟子でヴァイオリニスト及びバス歌手、1698-1756)によると思われる1723~1726年ごろの筆写譜:


この筆写譜はバッハの現存する自筆譜ではなくその前の草稿から写されたと考えられ、そのためより古い形が伝わっているらしい(こちらの記事(英語)を参照)。スラーはより単純で1拍ごとに区切られている。

このように、最後のものは例外かもしれないが、どの筆写譜もバッハの自筆譜を十分に伝えているとは言い難い。音符がその長さは白丸、黒丸、符尾、符鈎(ふこう、旗)によって明確に示され、その高さは線上にあるか線の間にあるかでほぼ明確に示される(時々不明確なこともあるが)のに対し、スラーは手書きの場合、バッハ自身でさえも時に不明確で判読しづらい。

自筆譜が残っていてもその解読は一つとはならないのである。ましてや自筆譜が残っていない「チェロ組曲」の場合、これも考えられる、この可能性もある、しかもどれも正解ではないかもしれないと、 まことに頼りないことにならざるを得ないのである。

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2017年9月27日水曜日

AMBの筆写譜とC・D資料


資料の系統についてはこれまで何度も言って来たように、C資料・D資料、及びパリ初版譜を作成するための資料であるE0資料は、アンナ・マグダレーナ・バッハ(以下AMB)の筆写譜の子孫である。このことはぼくが資料の研究を始めてから比較的初期のころに気付いたことで、普通に研究すればおそらく中学生でもわかることだと思うのだが、これまでの無伴奏チェロ組曲研究の歴史において、いまだにぼく以外だれも主張していない。そして2016年末に出版された新バッハ全集改訂版においてさえ、そのことには気付いていないのである。

前の記事にも載せたが、詳しい解説はいずれまた行うこととして、現在ぼくが考えている資料の系統図をここに再掲しておく。(2018年8月24日改訂)


言うまでもなく、資料の系統をどう捕らえるかは楽譜の作成に大きな影響を与える。言い換えれば、バッハの自筆譜にできる限り近づけるには、資料の系統もできる限り真実に近づけなければならない。ぼくの考えではC・D・E0資料及びそれらの親資料であるG資料がAMBの子孫であることは、資料系統の基礎の基礎である。そしてそれは資料系統研究の課題の中でも比較的易しいものの部類である。

今後演奏者及び研究者が従来の研究に惑わされることのないように、この記事でこの問題を集中的に扱うことにする。少し長くなるが、研究者の方は最後まで読んでいただきたい。

これまでにAMBとC・D資料に共通のミスは17ヶ所、そしてミスである可能性があるものが3ヶ所見つかっている。 


17ヶ所の内、リスト番号1、3、6、9、10、11、12、14、15番は歴代のチェロ組曲校訂者のほとんどすべてによってミスと認められているものであり、異論が全く無いか、あっても極めて少ないものである。しかしその他のものでも、第5組曲に関してはバッハ自身によるリュート用編曲(BWV 995)が存在しており、それと照らし合わせれば7、8、13番も異論の余地無くミスであることが確認されるのである。例えば8番については無視されたリュート組曲(2番目の項目)で既に触れた。

残る2、4、5、16、17番はミスと考える者とミスではないと考える者に大きく分かれている(その割合は様々である)が、その内の5、16、17番については既に別の記事で解説した。

     5 → 早すぎたフラット
   16 → 第6番ジークについて
   17 → バッハ「無伴奏チェロ組曲」第6番について(一番下の項目)

残るは2、4番だけだが、前者(第2組曲アルマンドの第9小節)に関してはなぜこのような明白なミスについて意見が分かれるのかわからない。AMB(及びC・D資料)では2拍目が2声あるのに対して3拍目は1声しかない。


これが不自然なのは普通の耳を持っていれば誰でも気付くことで、他の資料を見なくてもaの音が欠けていることは想像が付く。そして事実ケルナーではそこにaがあるのである。


和声学的に説明すると、2拍目最後の16分音符のaは和音(ここではe-g♯-b)外の音で、3拍目の和音(d♯-f♯-a)の一部を先取りしている。このような音を「先取音」(anticipation)と言うが、それは次の和声音があってこそ存在する意味があるのであって、よほどの特殊な効果を狙った場合は別として、次に来るべき和声音が消えるなどということは無い。

残るリスト番号4番については後で述べるが、このような共通のミスが1、2ヶ所ぐらいならともかく十数ヶ所もあるということは偶然ではあり得ない。

AMBがバッハの自筆譜から直接筆写したことは、作曲者の家族という立場や、例えば「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」が(レイアウトの類似などから)ほぼ確実に現存する自筆譜から直接筆写したと考えられることなどから、間違いないと言っていいだろう。このことからこれらの共通のミスがAMBによって起こされ、それがG資料を通してC・D及びE0資料に伝わったことは間違いないと言えるだろう。

他の例をいくつか見てみよう。

第4組曲プレリュードの第16小節の2つ目の音D♭については「早すぎたフラット」(上図のリスト番号5)で述べた。記事で書いたように、このフラットが現れるのは小節の途中で五線の段が変わるところである。そのため原稿であるバッハの自筆譜とAMBの筆写譜との間で視覚的混乱が起こり、誤ってこのフラットが付けられたと考えられる。従ってこのフラットを最初に書いたのはAMBであり、それがG資料、さらにC・D・E0資料にまで伝わったのである。

上の例では和声学的な見地からフラットが誤りであることは証明できるし、またケルナーではフラットがないことがより確実な根拠を与える。しかし例えば第6組曲ジークの第18小節後半(リスト番号18)のように和声的には間違っていない場合もある(下図右側の小節)。→ バッハ「無伴奏チェロ組曲」第6番について


この場合は楽曲の構成的に、つまり曲の始めにニ長調で提示された主題が、ドミナントであるイ長調で再び提示されている場面であるが、その主題をわざわざ変形する理由が見当たらないのである。ましてやこの変形はあまりにみすぼらしく稚拙である。しかし自筆譜という証拠が無いため、バッハが何らかの理由で主題を変形させたのだという主張を完全には退けられない。

しかし唯一第5組曲だけはバッハ自身によるリュート用編曲(BWV 995)が残されているのでバッハの意図を確認することができる。そしてまた上図のリストにおいて第5組曲が一番数が多い(7ヶ所)というのも興味深いことである。

非常にわかりやすい例としてはクーラントの第3小節冒頭のバス音(リスト番号9番)が挙げられる。AMB及びC・D資料、パリ初版譜ではcであるが、ケルナーとリュート編曲ではe♭である(リュート版はト短調に移調されているので実際にはb♭)。同じ小節の後半でチェロ組曲にはないバスの追加があり興味深い。さらに和声学的にも第2小節の終わりから第3小節への進行は、d-dの8度からc-gの完全5度への下行進行になり、これは並達(あるいは直行)5度と言って避けるべき進行である。


音楽的にも曲の冒頭からバス音がc - d - e♭- f - gとトニックからドミナントまで上昇して行き第5小節で再びトニックcに戻るという典型的なバス進行であり、もしリュート編曲が無かったとしてもケルナーが正しいことは容易にわかる(それにもかかわらずヘンレ版がこれをcとしているのは全く理解に苦しむ)。従ってこれもまたAMBのミスがG資料そしてC・D・E0資料に伝わったのである。

しかしながらわずかな可能性として、AMBもG資料も共にバッハの自筆譜から筆写されたある一つの資料から筆写されたため共通のミスがあるのだ、と考えることもできるかもしれない。しかしある観点からその仮説は否定される。それはAMBの筆写譜における「書き直し」によってである。AMBが音符を書き間違えた場合、いくつかの例ではナイフで削って書き直している。

   第1組曲メヌエット1、第23小節:


しかしほとんどの場合、削ることなく単に間違えた音の上から正しい音を重ね書きしている。そして時々ではあるが正しい音名を文字で示している。

   第3組曲アルマンド、第23小節:


この例ではgを書いた後にその上からfを書き、下に小文字でfと書いている。しかしほとんどの場合、文字を書くことは無い。そのため判別が困難な場合があるのである。

2つの重要な例について見てみよう。

   第3組曲ジーク、第24小節(左から2小節目)の最後の音(リスト番号4番):


この例ではdとeの2つの符頭が重なっている。そしてC・D資料ではeを採用しているが、ケルナーはdであり、また興味深いことにパリ初版譜ではC・D資料とは異なり、dを採用しているのである。そしてグリュッツマッハー、フルニエ、トルトゥリエ、また新バッハ全集改訂版など一部の出版譜ではeを採用しているが、これは音楽的にはあり得ないと言ってよい。

   ケルナー:

   C資料(D資料も同じ):


一見、第21小節からのdのペダル音(保続音、オルゲルプンクト)が第25小節(上図3小節目)最初のfに滑らかに移るための経過音としてeが挿入されたと思うかもしれない。しかし音楽的な役割から言って、このペダル音は第25小節からの低音のペダル音gに受け継がれるのであって、上声のfにではない。そして同様に第21小節からの下声の旋律は第25小節からの上声に受け継がれるのである。簡略化した楽譜で示すと分りやすいだろう。


この明快な役割分担の中に、経過音eの入り込む余地は無い。バッハの自筆譜はdであり、AMBは誤ってeと書いた後にdと書き直したのである。G資料の筆記者は判断を誤りeを採用してしまい、それがC・D資料に伝わったのである。これはG資料の筆記者が原稿としてAMBの筆写譜を使用したからこそ起こったミスであり、もしAMBを見ていないにもかかわらずこのような同じミスを犯す可能性は、限りなくゼロに近い。

もう一つの例はこの「書き直し」とリュート編曲の両面から検討できる最も決定的な例である。これについては無視されたリュート組曲の前半で既に述べたので参照してほしいが、第5組曲プレリュードの第193小節、3番目の音をAMBはgとaの音を重ねて書いているが、


ケルナーはa♮、C・D資料はgと分かれている。しかしリュート編曲ではa♮(原調ではe♮)であり(下図上段はテナー譜表、下段はバス譜表)、


ケルナーが正しいことが証明される。AMBは誤ってgを書いた後にaを書いたのである。これもG資料の筆記者がAMBの筆写譜を使用したからこそ起こったミスである。

以上の2つの「書き直し」の例ほど決定的でなくとも、AMBがバッハの自筆譜から直接筆写した可能性が高い以上、その他の共通のミスもAMBからG資料に伝わった可能性が高い。それらが全体で17ヶ所もあることを考えると、C・D・E0資料がAMBの筆写譜の子孫であることは疑いようの無い事実だと言ってよいのである。

各資料の関係を最初に系統付けたのは1988年の新バッハ全集版におけるハンス・エプシュタインだと思われるが、それから既に約30年の年月が経っている。もうそろそろC・D・E0資料がAMBの筆写譜の子孫であることは、「無伴奏チェロ組曲」研究者の間での共通認識になってほしいものである。

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2017年9月19日火曜日

資料比較研究

 

~自筆譜の復元を目指して~


2013年に横山版のスラーなし版を一応完成させた後、スラーのある完全版を作成することは当然次の目標となり、試みとして第1組曲全部と第3組曲の一部のスラーあり版を作成をした。しかしその他の組曲についてはなかなか取り掛かれないでいた。

そこへ2016年の終わりに新バッハ全集改訂版が出版されたことは大きな刺激になった。この改訂版については手厳しく批判したが、それは楽譜として多くの部分で進展していないどころか後退さえしてしまった部分があるからで、それとは反対に資料研究の点では進展したところもあり大いに参考になったのである。

とりわけ、これまでケルナーの筆写譜はバッハの草稿から、アンナ・マグダレーナ・バッハの筆写譜はバッハの清書楽譜から写譜されたと考えられて来たのが、実は唯一つの自筆譜に由来しているという校訂者Talle氏の指摘は、様々な点から納得できるものである。しかもその自筆譜も草稿であって、「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」のような清書楽譜は書かれなかった可能性が高いということである。

ともかくぼくとしてはこの改訂版の登場により新たにチェロ組曲のスラーを含めた完全版を作る意欲がわいて来たので、これから各資料の比較研究を公開して行こうと考えたのである。そこでこれまでの資料間の系統図を次のように改定した。
(2018年8月24日、再改訂)


バッハの自筆譜が一つだけになり、その他の資料の配置が変わった。ケルナーの筆写譜をI資料の下に置いたのである。これによりケルナーとG資料の間に直接の関係がないにも関わらず、共通点があることを説明できると思う。I資料はチェリストが実際に演奏するためにバッハの自筆譜から写譜したものであろう。またパリ初版譜の資料となったものをE資料と呼んでいたが、一般にはパリ初版譜をE資料と呼んでいるので混同しないようE0(イーゼロ)資料と呼ぶことにする。

また新たにドッツァウアー版も加えたが、ここに書かれているのは一般に考えられている関係であり、実のところC・D資料、パリ初版譜、ケルナー、ドッツァウアーの関係は疑問だらけであり、これも研究を進めて行くうちに解明されるかもしれない。 


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2017年2月7日火曜日

新バッハ全集改訂版の「無伴奏チェロ組曲」

 

~早まった出版~


つい先日、 新バッハ全集改訂版の「無伴奏チェロ組曲」 が出版されたことを知った。去年の11月に発行されたようである。旧バッハ全集や新バッハ全集が何かということは他で調べてもらいたいが、ともかく新バッハ全集刊行後のバッハ研究の進展により、改訂版を出す必要が生じたということで、2010年にその第1巻として「ロ短調ミサ曲」が発行され、その後2年ごとに1巻ずつ発行され、「無伴奏チェロ組曲」はその第4巻ということである(ベーレンライター社のページ)。

改訂版の話は聞いたことはあったが、まさかこんなに早く「チェロ組曲」が出るとは知らなかった。非常に悪い予感がした。ぼくは音楽学者ではなく、インターネットで自説を発表しているだけなので、改訂版の校訂者(Andrew Talle 氏)がぼくの研究に気付いている可能性は非常に低いからだ。

インターネットでいくら検索しても、フランスの図書館の蔵書の中には見つからなかったが、パリ高等音楽院の図書館に問い合わせてみると、ちょうど届いたばかりだと言う。早速行ってみた。

2巻に分かれているが、第2巻は各筆写譜が数小節ごとに区切られて比較参照できるようになっているもので、これはとりあえず必要ないので、第1巻の楽譜を見る。気になるところをざっと見てみたが、悪い予感は的中した。いくつか評価できるところもあったが、このブログで取り上げて来た従来の楽譜の問題点の多くが改善されないままであった。

特にぼくが「無伴奏チェロ組曲」最大の問題としている、第1組曲プレリュードの重弦(→なぜ誰も重弦で弾かないのか )がドッツァウアー の形のままであることには唖然としてしまった。これはすでに2000年のヘンレ版、ウィーン原典版などで不十分ではあるが改善されているのである。これでは1988年の新バッハ全集(初版)と同じであり、何のための改訂版なのか分らないではないか。

そのほか、第5組曲アルマンド第25小節冒頭の低音がGではなくB♭になっていたし(→無視されたリュート組曲 ) 、第6組曲プレリュードの第91小節最後の音がGではなくAになっていた(→無視された7度)。以上の3つはすべての資料で一致しているのであり、議論の余地は無いものである(あるとしたらバッハ自身が間違っているということであり、それを証明しなければならない)。

前文は資料について詳しく書かれており、C資料(18世紀後半の筆写譜)の二人の筆写師のうちの一人が判明したことや、各資料間の関係についてなど興味深いことも書かれていたが、資料に関しての一番重要なこと、すなわちC資料・D資料がアンナ・マグダレーナ・バッハの筆写譜の子孫に当たることは全く気付かれていなかった(→はじめに)。これが解っていないと、楽譜を作成するに当たって判断を誤ってしまうのである。

問題点の詳細については英語版のほうに書いたので、関心のある方は見てもらいたい。
http://bachcellonotes.blogspot.fr/2017/02/new-bach-edition-revised-nba-rev-4_13.html

結論としては早まったと言うほかない。ぼくがもう少し早く気付いていれば校訂者のTalle氏に問題点を指摘することもできたのに残念である。もっとも、指摘したところで理解されずにそのまま出版された可能性が高いが。

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2016年2月3日水曜日

謎の「パリ初版譜」

「無伴奏チェロ組曲」の最初の印刷楽譜が出版されたのは、作品が書かれたほぼ100年後の1824年、ドイツではなくフランスはパリのJanet et Cotelle社からであった。

しかしJanet et Cotelle社は現存しないようだし、出版されてからどのぐらい売れたのか、いつごろまで出版されたのか不明で、この曲の歴史からは忘れられた存在になっていたようである。広く知られるようになったのは、2000年の新ベーレンライター原典版が資料の1つとして復刻してからであろう(また現在では無料楽譜サイトIMSLPで誰でも見られるようになっている)。その点1826年に出版されて以来、20世紀半ばまで使われていたというドッツァウアー版とは好対照である。

そのせいか、この初版譜にはどうにもよくわからないところがある。さまざまな類似性からこの初版譜の元になった資料が18世紀後半の筆写譜であるC資料・D資料と同系統であることは明白だが、そもそもその資料がよくわからないのである。出版社の前書きには次のようにある。

 「編集者のことば

全ヨーロッパの著名な作曲家の中で、その名声に最も正当に値するのは、疑いも無くセバスチャン・バッハである。彼のピアノのためのフーガと、ヴァイオリンのための練習曲は常に古典とみなされて来た。近代音楽の主要三楽器のための教程を完成させるために、同じ作曲家はチェロのための特別な練習曲を書いたのである。しかしこの作品は印刷されたことが無く、発見するのさえ困難であった。王室音楽家で王立音楽院首席チェリストのノルブラン氏は、ドイツ中を探し回った末、その忍耐の成果としてついにこの貴重な手稿譜を発見したのである。

この曲集は6つの組曲で構成されており、それぞれの組曲は6つの曲に分けられている。第6組曲のみがチェロの高音域のために、その他は低いネックの音域の練習を目的としているが、低音にこそこの楽器の真の性質があるのであり、またそこにこそより本当の難しさがある。これによってチェロのためのバッハの練習曲は他の作品と同じように古典となるであろうし、この曲集の出版は大きな成功を得るに違いない。これをお知らせするにあたって、我々はこの楽器の愛好家や教師、そして良い音楽とすべての芸術の愛好者たちに奉仕するものと信じている。」 

(AVIS DES EDITEURS

Un des compositeurs les plus célèbres dans toute l’Europe, dont la réputation fut le plus justenment méritée, est sans contredit Sébastien BACH. Ses Fugues pour le piano et ses Etudes pour le violon ont toujours été mises au nombre des ouvrages classiques. Dans la vue de completer un cours d’exercices pour les trois principaux instrumens de la music moderne, le même auteur avait composé des Etudes particulières pour le violoncelle; mais cet oeuvre n’a jamais été gravé, il était même difficile de le découvrir. Aprés beaucoup de recherches en Allemagne, M. NORBLIN, de la musique du Roi, premier violoncelle de l’Académie royale de Musique, a enfin recueilli le fruit de sa persévérance, en faisant la découverte de ce précieux manuscrit.

Ce recueil se compose de six suites, dont chacune est divisée en six morceaux. La sixième suite est la seule qui ait pour objet les sons élevés du violoncelle; le reste de l’ouvrage est destiné à exercer le bas du manche; et comme c’est dans les sons graves que consiste le véritable caractère de l’instrument, c’est aussi là que résident les difficultés les plus réelles. Ainsi les Etudes de BACH pour le violoncelle ne seront pas moins classiques que ses autres ouvrages, et la publication de ce recueil ne peut manquer d’obtenir le plus grand succès. En le faisant connaître nous croyons rendre service aux amateurs et professeurs de cet instrument, à tous les amis de la bonne musique, à l’art tout entier.)



この貴重な手稿譜ce précieux manuscrit)とは一体何であったのか?C資料が発見されたのは1830年なのでまだ知られていなかった。ただD資料は1799年にウイーンで競売にかけられたことで発見されてはいる。しかし前書きには詳しいことは何も書かれていない。いずれにせよ、貴重な筆写譜をフランスに持って帰るわけには行かないから、ノルブランが筆写したのは間違いない。しかしJanet et Cotelle社がなくなったので、その筆写譜、つまりパリ初版譜の原稿は行方不明である。

それはともかく、やはり「無伴奏チェロ組曲」の出版は編集者の自負通り、注目を集めたのだろう。翌年(1825年)には早速ドイツはライプツィッヒのH. A. Probst社からその海賊版が出ている。ただ多少の修正は施されているということだが、残念ながらProbst版はインターネット上でまったく見当たらないので確認はできない。
(追記)IMSLPにアップされました。

そしてその翌年(1826年)にはいよいよドッツァウアー版がブライトコプフ・ウント・ヘルテル社から出版されるのである。 このドッツァウアー版はProbst版を元に、ケルナーの筆写譜によりさまざまな修正を施して作成されたようである。アンナ・マグダレーナ・バッハの筆写譜は参照されなかったようである。

しかしこの話の流れを疑う人もいる。オーストリア在住のドイツ人チェリスト、メルテンス氏は、ノルブランはドッツァウアーがチェロ組曲を出版しようとしているのを知って、自分のほうが先に出版したくて、ドイツにドッツァウアーを訪れ、そこでドッツァウアーから筆写譜をもらったか、自分で筆写したのだろうと考えている。そしてパリに戻り大あわてで出版したため、パリ初版譜はミスだらけなのだと。→http://www.georgcello.com/bachcellosuites.htm#prints

ありうる話かもしれない。作曲されてから100年間まったく出版されなかったのに、パリ初版譜とドッツァウアー版とが立て続けに出版されたのが、幾分不自然にも感じられるからである。 ちなみに無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータは1802年にジムロック社から出版されている。

またパリ初版譜がC・D資料と同系列でありながら、ところどころケルナーとの一致を見せているのも不思議なのである。C・D資料もケルナーとの一致を見せることもあるが、それは間接的な関係であるのだが、パリ初版譜とケルナーとの一致はより直接的に思えるのである。それもノルブランがドッツァウアーから写譜させてもらったのだと考えると納得できるわけだが。

いずれにせよぼくとしてはまだ研究を始めたばかりなので、 あまり確かなことは言えない。

(追記/2017年9月)

再び研究を始めたが、パリ初版譜はD資料との共通点が多いように思われる(例えば第1組曲プレリュードの冒頭で4つの16分音符にスラーがかかっているのはD資料の特徴である)。しかしながらところどころC資料との共通点もあり(例えば第1組曲アルマンドの第10小節最後から2番目の音Eが誤ってGになっている)、それらをどう説明したらよいのかさっぱりわからない。謎は深まるばかりである。

(追記/2018年8月18日)

例えば次のような現象をどう説明したらよいのだろうか。
第6組曲、アルマンドの第2小節はAMBでは2拍目と3拍目の低音が無い。これは音楽的に考えて、写し忘れたことは明らかである。他の筆写譜にはすべて音楽的に申し分の無い低音が書かれている。

 AMB:

C資料(D資料も同じ):

ところがここでケルナーのみ2拍目の低音Bが少し前にずれており、ちょうど1拍目の終わりの16分音符Aの下にあるように書かれている。しかしこれは2拍目の頭にあるべきであることは明白である(BとAとで7度の繋留(サスペンション)を成す)。  

 ケルナー(独特の16分音符の書き方だが符頭は1拍目のAの下にある):

ところがパリ初版譜とドッツァウアーは、共にこのケルナーと同じなのである。1拍目最後のAと2拍目頭のAとの間にタイが無いこともケルナーそのままである。

 パリ初版譜:

 ドッツァウアー:

ノルブランが全く偶然にケルナーと同じになってしまったということはまずあり得ないだろう。やはりノルブランはドッツァウアーの用意していた原稿から書き写したのだろうか。そしてドッツァウアーはその後も研究を進め、より多くケルナーから取り入れたのであろうか。もちろんまだ結論を出すのは早い。このような疑問点を一つ一つ検討して行かなければならないだろう。 

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2016年1月24日日曜日

D資料のカラー版ファクシミリ


すでにアンナ・マグダレーナ・バッハ(以下AMB)及びケルナーの筆写譜、バッハ自身による第5組曲のリュート編曲版、C資料はカラー版ファクシミリになっていたが、ついにD資料(18世紀末の筆写譜)もカラー写真版になった。

http://search.obvsg.at/primo_library/libweb/action/dlDisplay.do?institution=ONB&vid=ONB&onCampus=false&lang=ger&docId=ONB_aleph_onb06000461828
(上のページ右にあるサムネイルをクリックすると楽譜が見れます)

これで無伴奏チェロ組曲に関するすべての筆写譜及び自筆譜がカラー化され、インターネット上で誰でも見ることができるようになったのである(資料については「バッハへの道」参照)。

実際のところ、これまで流通していた白黒のファクシミリは裏写りがひどかったり、細部が確認しづらかったり、時には部分的に画像が飛んでいたりで、精緻な研究には耐えられないものだったのである。AMBの筆写譜など1927年(!)のアレクザニアン版に使われたものがそのまま新ベーレンライター原典版(2000年)にまで使われていたのである。

トルトゥリエ版を持っている人なら、第2組曲ジーグの第69小節(終わりから8小節目)の頭の音にフラットが無いことを不思議に思ったことがあるかもしれない。しかしこれはトルトゥリエが間違えたのではなく、AMBの白黒ファクシミリではこのフラットが飛んでいるのである(ただし演奏ではちゃんとフラットを弾いているが)。
 
ぼくも横山版を作り始めたころはまだカラー版が無かったので、このフラットを書かなかったのだが、ほどなくカラー版が公開されたため修正したのである。ケルナーなど新ベーレンライター原典版の資料では時に裏写りがひどくてほとんど読めなかったのだ。

 ケルナーの筆写譜より、第3組曲サラバンド、白黒版

 
 
  同カラー版、余談だが3段目、1小節目と2小節目の間、原曲の5小節分が抜け落ちている。  


本当に幸いなことに、カラー版の公開と横山版の作成とが同時進行したのである。横山版はこれら最新の資料なしでは完成しなかったのである。これからまだまだ新たな発見があることだろう。

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2014年9月21日日曜日

バッハへの道

 

~無伴奏チェロ組曲研究の方法論~


1824年のパリ初版譜以来、この曲の出版譜はすべて、バッハ以外の人々による筆写譜に基づいている。あるいはそうして作られた先行する出版譜に基づいて作られている。

しかし旧バッハ全集版(1879年)、ハウスマン版(1898年)、ヴェンツィンガー版(1950年)、マルケヴィッチ版(1964年)、2000年以降の出版譜などの例外はあるが、ほとんどは上記の資料を十分に駆使して作成されていない。しかし資料を十分に駆使していても、習慣や伝統、先行する出版譜の権威などにとらわれて、正しい音を見逃してしまっていた。

究極的にはバッハの自筆譜が見つからない限り、すべての正しい音を知ることはできないだろうが、少なくとも4つの筆写譜に共通する音は、当然のことながらそれが正しい、つまりバッハ自身が書いた音、と考えるよりほか無いだろう(ただしバッハ自身のミスと考えられるものは別である)。それにもかかわらず、この原則が守られていないと言うと、驚かれる方も多いだろう。

それらの音としては、第1番プレリュードの重弦第4番アルマンドのA♭第5番アルマンドのG音第6番プレリュードのG音などがあげられる。

(追記
ものの見事に、2016年の新バッハ全集改訂版でも、上記の箇所のうち。第4番アルマンドのA♭を除く3ヶ所で、従来のミスを受け継いでしまった)

資料によって異なる音は、もちろん慎重に扱う必要がある。まず当たり前のことだが、多数決によって決めてはならない。もちろんそのようにして音を決定している校訂者はいないだろうが、どうしても人情で多いほうに傾き勝ちである。

特にC資料、D資料と呼ばれる18世紀後半(つまりバッハの死後)の筆写譜はアンナ・マグダレーナ・バッハ(以下AMBと略)の筆写譜の子孫であり、AMBとC、D資料が同じでケルナーの筆写譜だけが異なるとしても、AMB側が正しいと言うことにはならない。

そのような例としては第2番のアルマンドのA音の欠落、第4番プレリュードの「早すぎたフラット」第6番ジーグのイ長調の部分などがあげられる。

反対に、ケルナーとC、D資料が同じでAMBだけが異なる場合、特別注意を払う必要がある。第2番のサラバンドやジーグのように、おそらくAMBの筆写ミスと考えられる場合もあるが、第1番ジーグの「半小節」のように、後からバッハが加筆、改訂した可能性があるものもあるからである。

それから、第5番にはバッハ自身がリュート用に編曲した自筆譜が残っている。ところが、編曲ものとは言えバッハの自筆譜が残っている貴重な組曲であるのに、驚くことにこの自筆譜が十分に活用されていないのだ。特にケルナーとリュート編曲が同じで、AMB(及びC、D資料)が異なるなら、ケルナー側が正しいと考えてよいだろう。例としてはアルマンドのリズムがある。


いずれにせよ、各資料の系統は正確に把握する必要があり、どこで誰が筆写ミスをしたか、あるいはバッハによる加筆、改訂があったかを考えなければならない。それなしに資料を平面的に並べて、思い付きでミスだの何だのと言っても始まらないのである。下の図は現在ぼくが考えている各資料の系統図である。


何より重要なのは、上にも書いたが、C・D資料がAMBの子孫であることである。第2に、おそらくケルナーはバッハの草稿から、AMBはバッハの自筆清書楽譜から筆写したであろうこと。第3に、ケルナーとC・D資料が一致している(つまりAMBだけが異なっている)場合、I 資料(これはぼくの仮説による)と、さらにG資料を通してC・D資料に伝わった可能性があること、である。

ついでながら、2000年の新ベーレンライター原典版に掲載されている系統図をご覧いただきたい。このような貧弱でしかも間違った系統図が、一般的には今でも信じられている。



先ほども言ったように、究極的にはバッハの自筆譜が見つからない限り、決定できない音がいくつかあるのは事実である。またここでは無視したが、スラーの決定という難しい問題も残されている。しかし2000年のバッハ・イヤーに出版された、新ベーレンライター原典版で各資料が一般人にも入手可能となり、さらに現在ではバッハ・デジタルやIMSLPなどで、最新の美しいカラー版ファクシミリによる資料を自宅にいながら利用できる時代になった。

チェリストに限らずこの曲に関心を持つ人は、先人の偏見にとらわれずにこの曲を研究できるようになったのである。偏見や習慣、思いつきや思い込みにとらわれた校訂報告など見ても無駄である。どうかご自分の目で確かめて下さい。

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