ラベル 第1組曲 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 第1組曲 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2015年12月7日月曜日

無視された半小節、追記


第1組曲ジーグの「無視された半小節」は、ぼくが「無伴奏チェロ組曲」の自分の版を作るきっかけであったし、またもっとも反響の大きいものでもあるので(→ブログ本館の旧記事)、ここに説明を追加しようと思う。

ぼくが一番感じるのは「半小節」への偏見である。差別と言い換えてもいいかもしれない。半分の小節なんておかしい、というわけである。これが20世紀以降の音楽だったら誰もそんなことは言わないだろう。だったらどうしてバッハの音楽に半小節があったらおかしいのだろう。誰かそれをちゃんと説明できるだろうか?

「半小節」への差別があまりにも大きいので、アンナ・マグダレーナ・バッハ(以下AMB)の筆写譜に小節線を書き加えて、ジーグ後半のすべての小節を「半小節」にしてみた。つまり8分の6拍子を8分の3拍子にしたのである。これで例の「半小節」も立派な「完全小節」になる(笑)。


実際、第2、第3、第5組曲のジーグは8分の3拍子で書かれている。そして第1、第6組曲のジーグは8分の6拍子、第4組曲のは8分の12拍子である。これには特に音楽的な意味はなく、テンポで決められているといって間違いないだろう。8分の3が一番遅く、8分の12が一番速いわけである。ただ同じ8分の6拍子でも、第6組曲のほうが16分音符が多い分、幾分ゆっくりになるだろう。

さて「半小節」がおかしいという人は、バッハがもし上の図のように8分の3拍子で書いていたとしても、やはり例の小節が余分でおかしい、と言える自信があるだろうか?おそらくないだろうと思う。結局見た目に惑わされているだけなのである。


また強拍と弱拍の混乱は、前記事で述べたように第28小節以降に起こるだけでなく、実はもう少し前にも起こっている。23小節後半と24小節前半で同じ音形が繰り返されているが、そのため23小節と24小節前半とが合わさって、8分の9拍子のように感じられるのである。このことも半小節の必要性の遠因となっている。

楽譜にすると次のようになる。


ただしこれは、8分の9以降がこのように小節割りされるという意味ではなく、このような強拍と弱拍との混乱が潜在的に影響を与えているという意味である。


さらに写譜上の観点から見ると、この半小節がミスである可能性はまずないのである。一つはAMBのこのようなミスが少なくとも 「無伴奏チェロ組曲」には他に無いことである。似たようなものはあり、例えば第6番のプレリュードの第5小節で4拍目を書き落としている。ただし後で修正されているが。


しかしこれは「書き足りない」例であり、1番のジーグのように「書き足されている」のではない。また書き足された例としては3番のジーグ及び5番のジーグにあり、どちらも同じ小節を2度書いている。

 3番ジーグ(上段一番右と下段一番左の小節)


  5番ジーグ(同上)


しかしこれらは筆写譜側で段が変わっている時に起こっており、ミスの原因がはっきりしている。1番のジーグのような段の途中で「書き足される」ミスというのはきわめて考えにくいのである。しかもその音形は直前直後にある音形とは異なっており、最初の2つの8分音符は次の小節の最初の2つと同じで、3つ目の音符は前の小節の最後の音符と同じなのである。果たしてこのような「凝った」ミスをするものだろうか?


バッハが後にこの半小節を書き足した可能性の方が、AMBの筆写ミスの可能性よりもはるかに高いのである。

にほんブログ村 クラシックブログ チェロへ 

2015年7月24日金曜日

奇妙な音形


バッハ「無伴奏チェロ組曲」にはC資料、D資料と呼ばれる18世紀後半の筆写譜があるが、それらの第1組曲のプレリュードを見ていると、第27小節の後半に奇妙な音形があるのに気付く。

 C資料


 D資料


パリ初版譜(1824年)も同様。


また2000年に出版された、ウィーン原典版(赤い表紙でおなじみ)もこの音形を採用している。おそらくそれ(と新バッハ全集の2番目の楽譜)だけが例外で、通常はアンナ・マグダレーナ・バッハ(ケルナーも同じ)の音形を採用している(2段に分かれたものを合成)。



この増2度を含んだ音形は実に奇異な印象を与え(ぼくには蛇がのたくっているように感じる)、最初見た時はこれはバッハには関係ないと思った。つまりC、D資料の親資料であるG資料を書いた人あたりが勝手に書き換えたのではないかと思ったのである。

しかしバッハ研究家の富田庸さんによると、これは平均律クラヴィーア曲集について書かれたものだが、

「弟子が学習のために必要な場合には、バッハは初期稿に手を加えては貸し、この浄書譜は約20年もの間、弟子には使わせなかった。そういう知られざる史実が弟子の筆写譜に証拠となって存在する。」
http://www.music.qub.ac.uk/~tomita/essay/wtc1j.html

ということで、チェロ組曲の場合も、バッハが一つのヴァリエーションとして、この奇妙な音形を初期稿に書き加えて筆写師に渡した可能性がある。それに何よりC、D資料にせよ、その親資料であるG資料にせよ、きわめて忠実に筆写しようとしていると思われるので、ここだけバッハによらない音形を書くというのもおかしな話である。

ばくはG資料はアンナ・マグダレーナの筆写譜と、ぼくの仮説上のI資料(記事「バッハへの道」の図を参照)の両者を照らし合わせて作られたと考えているが、そのI資料にこの奇妙な音形があったのではないかと想像している。

結局初めて見た時の感想とは違い、現在ではこの音形はおそらくバッハ自身によるものであるとぼくは考えている。たまに弾いてみるとなかなか面白いのである。

皆さんも一度試してみてはいかが?

にほんブログ村 クラシックブログ チェロへ 

2015年5月11日月曜日

無視された半小節

(ブログ本館の旧記事はこちら)

第1組曲ジーグのアンナ・マグダレーナ・バッハ(以下AMB)の筆写譜には、ぼくが無伴奏チェロ組曲の楽譜を作るきっかけとなった、奇妙な半小節がある(第31小節の後)。


これはAMBの筆写譜を見たことのある人は大抵気付くもので、ロストロポーヴィチなど、何人かのチェリストがこの半小節を弾いている。

 ロストロポーヴィチによる半小節の演奏(15分35秒と16分04秒、ジーグの開始は14分39秒)


 (余談だが、おもしろいことに、ロストロポーヴィチはビデオではこの半小節を弾いているが、CDでは弾いていない。)

しかしこれまで出版された楽譜の編集者はことごとく、何の音楽的な根拠もなく、ただ半小節なんて変だと言うだけで、これをAMBのミスだと決め付けてきた。 ただ一人だけ例外はあって、1957年出版の Stogorsky という人の楽譜には採用されている。ただこの楽譜は、AMBの筆写譜をミスだと思われる箇所も含めて忠実に再現したもののようで、音楽的に理解した上で積極的に採用したという訳ではないようである。

この半小節はAMBの筆写譜以外にはない。AMBの筆写譜の子孫であるC資料、D資料にもないのは、C・D資料の親資料であるG資料の筆写師がこれをミスだと思って無視したからであろう。 

ケルナーの筆写譜にもないが、これはただバッハの草稿に無かったからに過ぎないだろう。ケルナーはバッハの草稿から筆写したと考えられる(ただしこれには新バッハ全集改訂版の校訂者Andrew Talle氏による異論がある)。


つまりバッハは草稿にはこの半小節を書いていなかったが、清書楽譜には書き足したのだと考えられる。AMBがバッハの清書楽譜から写譜したことは間違いない。あるいは、ぼくはこちらの方が可能性が高いと思うが、清書楽譜にも最初は書いていなかったが、後に五線の外にこの半小節を加えたのかもしれない。

追記)
最近はぼくもTalle氏の言うように、バッハは無伴奏チェロ組曲を草稿だけ書いて清書楽譜は残さなかった可能性もあると思うようになって来た。つまりバッハは草稿の五線の外に下のように半小節を書き加えたのかもしれない。

 バッハの自筆譜の想像図: 


これを書き写せばAMBの筆写譜のように半小節が挟まった形になるのではないだろうか?

さてそれはともかく、この半小節にはちゃんと音楽的な根拠がある。バッハは初めは小節の枠内に収めたのだが、後に音楽的な要求に従って、この半小節を挿入したのであろう。

下の図を見てほしい。


6段目までずっと4小節単位で進んでいたこの曲が7段目では3小節進んだところ(第27小節)で突然断ち切られている。そのためいわば余ったエネルギーが拍子の混乱を引き起こすのである。

加えて第29小節と第30小節(下から2段目)のそれぞれの2拍目(小節の後半)の頭の8分音符が次の8分音符へのアポジャトゥーラ(倚音)になっており、それがアクセントとなるため、だんだんと裏拍(小節の後半)が表拍(小節の前半)よりも強く感じられるようになり、ついに第30小節の裏拍が表拍のように感じられ、次の第31小節の表拍が裏拍のように感じられるようになる。

そして最後の段は第31小節の裏拍から始まるが、実際には表拍として感じられる。そのためその後に「余分な」半小節を裏拍として挟み込む必要が生じたというわけである。図を見れば、3小節で断ち切られたフレーズがだんだんと回復しようとして、最後に4小節にもどる様子がよくわかると思う。

さらに付け加えると、無伴奏チェロ組曲の全てのジーグにおいて、なぜこの第1番だけ最後の音にフェルマータがあるかの説明にもなる。最初バッハは何らかの物足りなさを感じ、フェルマータで最後の音を伸ばすことによってそれを補おうとした(ケルナーの筆写譜にもフェルマータがあることから、これが最初から書かれていたことがわかる)。後にバッハは半小節を書き加えることによって解決をはかったが、痕跡としてこのフェルマータが残ってしまったというわけである。
 

上のロストロポーヴィチの演奏を聞いてもらえればわかるが、楽譜上は奇妙に見えても、耳には全く自然に聞こえるし、このジーグが、ひいてはこの第1組曲全体が充実して終わることがわかると思う。

バッハが後にこの半小節を書き加えたことは間違いない。

にほんブログ村 クラシックブログ チェロへ 

2014年10月9日木曜日

バッハのカレンダー

 

~神を讃えるプレリュード~

  


なぜ誰も重弦で弾かないのかの記事で、ある数字に気付かれた人がいるだろうか?

それはこの重弦が始まる場所の数字である。

この重弦は第33小節の3拍目から始まっている。

ぼくにはこの3並びがどうも偶然だとは思えなかったのである。

そこでよく調べてみると、この重弦は12拍続いている。このプレリュードは4分の4拍子だから、12拍ということはちょうど3小節分と言うことである。

さらにこの重弦の出始めは、3つ続きの16分音符の重弦になっている。

この「3尽くし」が偶然であり、バッハの意図したものでないと思う人は、これから先は読まなくてもいいだろう。


キリスト教では三位一体ということから、3は神を意味する(といってもこのあたりの詳しいことは、ぼくはよく知らない。とりあえずここではそう考えて問題ないだろう)。

つまりバッハはこの重弦で神の栄光を讃えているのである。実際この部分をバッハの書いたとおりA線とD線の重弦で弾くと、光り輝くようにAの音が鳴り響くのである。


さらにぼくは、このような数字にこだわるバッハのことだから、ほかにもこのプレリュードには何か秘密の数字が隠されているのではないかと思ったのである。

そこでこのプレリュードの小節数を調べてみた。できればこれを読んでる皆さんも自分で調べてみるといいだろう。






このプレリュードは、、、






42小節でできている。

42とは何か?

そう、7x6である。

7はキリスト教では完全な数字であるという。神は6日間で世界を作り、7日目に休まれたから。これはこれで一つの答えではある。



でも他に何か無いだろうか?



7x6は、

14x3でもある。 



14と言えば「バッハの数字」ではないか。

BACHをアルファベットの順番の数字に置き換えると、B=2、A=1、C=3、H=8 で、全部を足すと14になるわけで、バッハはこの数字を大変好んだ。

例えば「平均律クラヴィーア曲集第1巻」の1番(ハ長調)のフーガのテーマは14の音で出来ている(タイで結ばれている2つの音符は1つと考える)。


そしてさらに驚嘆すべきことなのだが、チェリストであれ、びよりすとであれ、ギター、サックス、リコーダー、トロンボーン、コントラバス、ヴィオラ・ダ・ガ ンバ奏者であれ、この曲を演奏する人は全て、あるいは演奏はしないがこの曲を愛する人は全て、ここから先を読む前にご自身でこの曲の構造を研究してみてほ しい。






気づかれたことと思うが、、、






このプレリュードは実際に14小節x3で組み立てられていたのである。

より把握しやすいように、上段に元の楽譜を(小さいが)、下段にそれを和声に要約したものを示しておく。


これはつまり、このプレリュードで「バッハ(14)が神(3)の栄光を讃えている」ことを意味している、と言って間違いないだろう。

そして第3部分は別として、前の第1部分と第2部分はそれぞれ7小節づつの2つの部分に分かれるのである。

7(完全な数字)x2=14(バッハの数字)である。

そしてそれとはまた別に、全体はフェルマータによって完全に2つの部分にも分けられており(フェルマータは小節の中ほどにあるように見えるが、実際には上の楽譜の下段に見られるように和音全体にかかっているのであり、それが単にアルペッジョになっているだけである)、前半はアルペッジョ主体、後半は音階主体という構成にもなっている。

実に驚くべき構造である。

ぼくはこれをカレンダーと呼んでいる。

また上にも書いたように、神は6日間で世界を作り7日目に休まれたことから、このプレリュードは天地創造をも表しているのかもしれない。


無伴奏チェロ組曲は、神を讃える堂々たるプレリュードで始まるのである。 


 にほんブログ村 クラシックブログ チェロへ 

2014年9月17日水曜日

なぜ誰も重弦で弾かないのか


~無視された重弦~


これはバッハ「無伴奏チェロ組曲」における最大の謎である。なぜドッツァウアー以来200年近くもの間、誰もこれに気が付かなかったのか?

それは無伴奏チェロ組曲の顔とも言うべき、第1組曲のプレリュードの第33小節3拍目から第36小節第2拍目までのaの音に関することである。

4つの筆写譜すべてがそれらをAの開放弦とD弦上のa音のユニゾン、つまり重弦で弾くべきであることを示している。 なぜならそれらのa音にはすべて二重符尾、つまり上下に2つの符尾(ぼう)が書かれているからである。

 ケルナー:


アンナ・マグダレーナ・バッハ:


 C資料:


 D資料:


ところが1826年にドッツァウアーがブライトコプフ社から彼の版を出版した際、次のように書き換えてしまったのである。


これは決してドッツァウアーだけのせいではなく、その前の1824年のパリ初版譜において既にその兆候が見えている(二重符尾だが指使いが単弦用になっている)のだが、


それはさておき、これが後の旧バッハ全集(1879年)などに引き継がれ、1997年にヴェルナー・イッキング氏の楽譜が現れるまで、すべての出版譜がこの重弦を無視し続けて来たのである。とりわけひどいのは、あろうことか1988年の新バッハ全集版(ハンス・エプシュタイン編)までが、この重弦を無視していることである。何のための「新」バッハ全集なのだろうか?イッキング氏はアマチュアのヴァイオリニストである。専門家は何をしていたのか?

とりわけこの重弦の出だしに注意してほしいのだが、すべての資料が3つ続きのaの重弦を示している。現在ではウイーン原典版など、 この重弦を書くようになった出版譜も出始めたのだが、この3つ続きの重弦をちゃんと書いているのは、イッキング版と横山版だけである。

信じられないのはヘンレ版で、2000年の初版ではちゃんとこの3つ続きを書いていたのに、2007年の改訂版では3つ続きをやめてしまったのである。無知なチェリストの助言でもあったのだろうか。既存の出版社の没落を示すかのような出来事である(ちなみに、イッキング版も横山版も共にインターネット上で無料配布されている楽譜である)。

指使いの一例を示しておく。


このような連続する重弦はこのプレリュードだけだが、単独のユニゾンはチェロ組曲の他の曲の中にもいくつかある。

 1、第2組曲サラバンドの冒頭、dのユニゾン。
 2、第5組曲ガヴォット2、第8小節最初、gのユニゾン。
 3、第5組曲クーラント、第12小節の最初、gのユニゾン。
 4、第6組曲アルマンド、第8小節最初、aのユニゾン。
 5、第6組曲ジーク、第53小節最初、aのユニゾン(AMBのみ)。

これらのユニゾンはほとんどの奏者が重弦で弾いているだろうに、第1組曲のプレリュードだけを例外とする理由は何なのだろうか?

それでも重弦を疑う人は、無伴奏ヴァイオリンのための「シャコンヌ」をご覧いただきたい。バッハ自身が証明しているから。中間のニ長調の部分、第165小節からa音およびd音で、同音の重弦が力強い表現を行っているが、これをまさか単弦で弾くヴァイオリニストはいないだろう。なぜなら二重符尾で書かれているからである。

 バッハの自筆譜より


それならどうしてチェリストは同じようにしないのだろう?

またバッハがもしD弦とA弦を交互に弾くのを望んでいたのなら、その同じ「シャコンヌ」のあとの方(第229小節以降)で書いているようにしただろう。これはまさしくドッツァウアー以降の書き方とそっくり同じなのである。


これ以上の証明は必要ないだろう。

追記
2016年11月に新バッハ全集の改訂版が出版されたが、そこでも重弦は書かれていなかった。もはやただ呆れるほかはない。ヘンレ版やウイーン原典版よりも後退してしまっている(→新バッハ全集改訂版の「無伴奏チェロ組曲」

にほんブログ村 クラシックブログ チェロへ