2016年2月3日水曜日

謎の「パリ初版譜」

「無伴奏チェロ組曲」の最初の印刷楽譜が出版されたのは、作品が書かれたほぼ100年後の1824年、ドイツではなくフランスはパリのJanet et Cotelle社からであった。

しかしJanet et Cotelle社は現存しないようだし、出版されてからどのぐらい売れたのか、いつごろまで出版されたのか不明で、この曲の歴史からは忘れられた存在になっていたようである。広く知られるようになったのは、2000年の新ベーレンライター原典版が資料の1つとして復刻してからであろう(また現在では無料楽譜サイトIMSLPで誰でも見られるようになっている)。その点1826年に出版されて以来、20世紀半ばまで使われていたというドッツァウアー版とは好対照である。

そのせいか、この初版譜にはどうにもよくわからないところがある。さまざまな類似性からこの初版譜の元になった資料が18世紀後半の筆写譜であるC資料・D資料と同系統であることは明白だが、そもそもその資料がよくわからないのである。出版社の前書きには次のようにある。

 「編集者のことば

全ヨーロッパの著名な作曲家の中で、その名声に最も正当に値するのは、疑いも無くセバスチャン・バッハである。彼のピアノのためのフーガと、ヴァイオリンのための練習曲は常に古典とみなされて来た。近代音楽の主要三楽器のための教程を完成させるために、同じ作曲家はチェロのための特別な練習曲を書いたのである。しかしこの作品は印刷されたことが無く、発見するのさえ困難であった。王室音楽家で王立音楽院首席チェリストのノルブラン氏は、ドイツ中を探し回った末、その忍耐の成果としてついにこの貴重な手稿譜を発見したのである。

この曲集は6つの組曲で構成されており、それぞれの組曲は6つの曲に分けられている。第6組曲のみがチェロの高音域のために、その他は低いネックの音域の練習を目的としているが、低音にこそこの楽器の真の性質があるのであり、またそこにこそより本当の難しさがある。これによってチェロのためのバッハの練習曲は他の作品と同じように古典となるであろうし、この曲集の出版は大きな成功を得るに違いない。これをお知らせするにあたって、我々はこの楽器の愛好家や教師、そして良い音楽とすべての芸術の愛好者たちに奉仕するものと信じている。」 

(AVIS DES EDITEURS

Un des compositeurs les plus célèbres dans toute l’Europe, dont la réputation fut le plus justenment méritée, est sans contredit Sébastien BACH. Ses Fugues pour le piano et ses Etudes pour le violon ont toujours été mises au nombre des ouvrages classiques. Dans la vue de completer un cours d’exercices pour les trois principaux instrumens de la music moderne, le même auteur avait composé des Etudes particulières pour le violoncelle; mais cet oeuvre n’a jamais été gravé, il était même difficile de le découvrir. Aprés beaucoup de recherches en Allemagne, M. NORBLIN, de la musique du Roi, premier violoncelle de l’Académie royale de Musique, a enfin recueilli le fruit de sa persévérance, en faisant la découverte de ce précieux manuscrit.

Ce recueil se compose de six suites, dont chacune est divisée en six morceaux. La sixième suite est la seule qui ait pour objet les sons élevés du violoncelle; le reste de l’ouvrage est destiné à exercer le bas du manche; et comme c’est dans les sons graves que consiste le véritable caractère de l’instrument, c’est aussi là que résident les difficultés les plus réelles. Ainsi les Etudes de BACH pour le violoncelle ne seront pas moins classiques que ses autres ouvrages, et la publication de ce recueil ne peut manquer d’obtenir le plus grand succès. En le faisant connaître nous croyons rendre service aux amateurs et professeurs de cet instrument, à tous les amis de la bonne musique, à l’art tout entier.)



この貴重な手稿譜ce précieux manuscrit)とは一体何であったのか?C資料が発見されたのは1830年なのでまだ知られていなかった。ただD資料は1799年にウイーンで競売にかけられたことで発見されてはいる。しかし前書きには詳しいことは何も書かれていない。いずれにせよ、貴重な筆写譜をフランスに持って帰るわけには行かないから、ノルブランが筆写したのは間違いない。しかしJanet et Cotelle社がなくなったので、その筆写譜、つまりパリ初版譜の原稿は行方不明である。

それはともかく、やはり「無伴奏チェロ組曲」の出版は編集者の自負通り、注目を集めたのだろう。翌年(1825年)には早速ドイツはライプツィッヒのH. A. Probst社からその海賊版が出ている。ただ多少の修正は施されているということだが、残念ながらProbst版はインターネット上でまったく見当たらないので確認はできない。
(追記)IMSLPにアップされました。

そしてその翌年(1826年)にはいよいよドッツァウアー版がブライトコプフ・ウント・ヘルテル社から出版されるのである。 このドッツァウアー版はProbst版を元に、ケルナーの筆写譜によりさまざまな修正を施して作成されたようである。アンナ・マグダレーナ・バッハの筆写譜は参照されなかったようである。

しかしこの話の流れを疑う人もいる。オーストリア在住のドイツ人チェリスト、メルテンス氏は、ノルブランはドッツァウアーがチェロ組曲を出版しようとしているのを知って、自分のほうが先に出版したくて、ドイツにドッツァウアーを訪れ、そこでドッツァウアーから筆写譜をもらったか、自分で筆写したのだろうと考えている。そしてパリに戻り大あわてで出版したため、パリ初版譜はミスだらけなのだと。→http://www.georgcello.com/bachcellosuites.htm#prints

ありうる話かもしれない。作曲されてから100年間まったく出版されなかったのに、パリ初版譜とドッツァウアー版とが立て続けに出版されたのが、幾分不自然にも感じられるからである。 ちなみに無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータは1802年にジムロック社から出版されている。

またパリ初版譜がC・D資料と同系列でありながら、ところどころケルナーとの一致を見せているのも不思議なのである。C・D資料もケルナーとの一致を見せることもあるが、それは間接的な関係であるのだが、パリ初版譜とケルナーとの一致はより直接的に思えるのである。それもノルブランがドッツァウアーから写譜させてもらったのだと考えると納得できるわけだが。

いずれにせよぼくとしてはまだ研究を始めたばかりなので、 あまり確かなことは言えない。

(追記/2017年9月)

再び研究を始めたが、パリ初版譜はD資料との共通点が多いように思われる(例えば第1組曲プレリュードの冒頭で4つの16分音符にスラーがかかっているのはD資料の特徴である)。しかしながらところどころC資料との共通点もあり(例えば第1組曲アルマンドの第10小節最後から2番目の音Eが誤ってGになっている)、それらをどう説明したらよいのかさっぱりわからない。謎は深まるばかりである。

(追記/2018年8月18日)

例えば次のような現象をどう説明したらよいのだろうか。
第6組曲、アルマンドの第2小節はAMBでは2拍目と3拍目の低音が無い。これは音楽的に考えて、写し忘れたことは明らかである。他の筆写譜にはすべて音楽的に申し分の無い低音が書かれている。

 AMB:

C資料(D資料も同じ):

ところがここでケルナーのみ2拍目の低音Bが少し前にずれており、ちょうど1拍目の終わりの16分音符Aの下にあるように書かれている。しかしこれは2拍目の頭にあるべきであることは明白である(BとAとで7度の繋留(サスペンション)を成す)。  

 ケルナー(独特の16分音符の書き方だが符頭は1拍目のAの下にある):

ところがパリ初版譜とドッツァウアーは、共にこのケルナーと同じなのである。1拍目最後のAと2拍目頭のAとの間にタイが無いこともケルナーそのままである。

 パリ初版譜:

 ドッツァウアー:

ノルブランが全く偶然にケルナーと同じになってしまったということはまずあり得ないだろう。やはりノルブランはドッツァウアーの用意していた原稿から書き写したのだろうか。そしてドッツァウアーはその後も研究を進め、より多くケルナーから取り入れたのであろうか。もちろんまだ結論を出すのは早い。このような疑問点を一つ一つ検討して行かなければならないだろう。 

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2016年1月24日日曜日

D資料のカラー版ファクシミリ


すでにアンナ・マグダレーナ・バッハ(以下AMB)及びケルナーの筆写譜、バッハ自身による第5組曲のリュート編曲版、C資料はカラー版ファクシミリになっていたが、ついにD資料(18世紀末の筆写譜)もカラー写真版になった。

http://search.obvsg.at/primo_library/libweb/action/dlDisplay.do?institution=ONB&vid=ONB&onCampus=false&lang=ger&docId=ONB_aleph_onb06000461828
(上のページ右にあるサムネイルをクリックすると楽譜が見れます)

これで無伴奏チェロ組曲に関するすべての筆写譜及び自筆譜がカラー化され、インターネット上で誰でも見ることができるようになったのである(資料については「バッハへの道」参照)。

実際のところ、これまで流通していた白黒のファクシミリは裏写りがひどかったり、細部が確認しづらかったり、時には部分的に画像が飛んでいたりで、精緻な研究には耐えられないものだったのである。AMBの筆写譜など1927年(!)のアレクザニアン版に使われたものがそのまま新ベーレンライター原典版(2000年)にまで使われていたのである。

トルトゥリエ版を持っている人なら、第2組曲ジーグの第69小節(終わりから8小節目)の頭の音にフラットが無いことを不思議に思ったことがあるかもしれない。しかしこれはトルトゥリエが間違えたのではなく、AMBの白黒ファクシミリではこのフラットが飛んでいるのである(ただし演奏ではちゃんとフラットを弾いているが)。
 
ぼくも横山版を作り始めたころはまだカラー版が無かったので、このフラットを書かなかったのだが、ほどなくカラー版が公開されたため修正したのである。ケルナーなど新ベーレンライター原典版の資料では時に裏写りがひどくてほとんど読めなかったのだ。

 ケルナーの筆写譜より、第3組曲サラバンド、白黒版

 
 
  同カラー版、余談だが3段目、1小節目と2小節目の間、原曲の5小節分が抜け落ちている。  


本当に幸いなことに、カラー版の公開と横山版の作成とが同時進行したのである。横山版はこれら最新の資料なしでは完成しなかったのである。これからまだまだ新たな発見があることだろう。

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2016年1月14日木曜日

気付かれなかったA

~スコルダトゥーラはややこしい~


今日久しぶりに第5組曲をスコルダトゥーラで弾いていて、ふと「この音はひょっとして、、、」と思いつき、どうやらこれまで誰も気付いていなかったことに気付いたようである。しかしこれは今までの楽譜校訂者が悪いとは言い切れない。スコルダトゥーラのせいである。

スコルダトゥーラとは通常の調弦とは異なる変則調弦のことであり、第5組曲では一番高いA弦を2度低いGに調弦する。これによってD弦との音程が4度になり、通常の5度調弦よりも密集した和音が弾きやすくなる。通常の調弦では実際のところスカスカした和音しか弾けないのである。 ヴァイオリン族は本質的に旋律楽器であり、和音楽器ではない。

さてここで変則調弦された弦の記譜法がややこしいのである。楽譜には実際に鳴る音が書かれていないのだ。奏者はまるで変則調弦などなかったかのように弾かなければならない。例えば楽譜にDの音符が書かれているとする。奏者は通常の調弦の時と同じDの位置を指で押える。しかし第5組曲の場合で言えば2度低く調弦されているので、実際に鳴る音はCである。

ところが変則調弦されていない他の弦は普通に記譜される。そのためその境目にある記譜上のAやBの音はどちらの弦のために書かれてあるのか、実音なのか、実音より2度高い記譜上の音なのか判断が難しくなるのである。いわば変則調弦された弦だけが移調楽器のように書かれるのである。ここまで書いただけで胃腸の調子が悪くなりそうである。

ケルナーはオルガニストで作曲家であり、自分の研究のためにバッハの曲を写譜したので、この第5組曲は原譜通りではなく実音に直して書いている。ところが彼にはよほど難しかったのだろう。ミスだらけなのである。


さて何の音に気付いたかと言うと、プレリュード第170小節の最初の(記譜上の)Aの音である。

 アンナ・マグダレーナ・バッハ:


従来この音はスコルダトゥーラされた第1弦の開放弦、すなわちGだと考えられて来た。例えば上に書いたケルナーもGだと思ったのである(やや読みづらいが、上の2本の線は加線である。つまり一番上の線にある音はE♭)。


しかしそれでは音楽上おかしいのである。つまりその次の小節から5小節にわたってハ短調のドミナントであるG音がペダル音(保続音・オルゲルプンクト)として鳴り続けるのだが、そのG音がペダル音が始まる前に聞こえてしまってはその効果が台無しになってしまうのである。これはタネが見えてしまっているマジックと同じだと言えばよくわかるだろう。

ペダル音の始まる2つ前の第169小節はF♯-(A)-C-E♭の減7の和音であり、ハ短調におけるドッペルドミナントになっており、第170小節もそのままドッペルドミナントであれば音楽的に理にかなっている。

そして事実、第170小節もドッペルドミナントであり、頭の音はスコルダトゥーラされた第1弦のためではなく第2弦(D弦)のために書かれたのであり、実音は当然記譜音と同じA(ナチュラル)なのである。

3つの視点から見てみよう。1つはこの楽譜そのものからで、もし第170小節の頭の音がGならば、第167小節(上のAMBの楽譜、最初の2つの16分音符の次の小節)も第170小節もまったく同じになるが、頭の音が第167小節では第2弦のために書かれ、第170小節では第1弦の開放弦のために書かれる理由が見当たらない。また第166から第169までの4小節間、各小節の頭の音はすべてD弦のために書かれている。その流れからして第170小節だけが第1弦のために書かれているというのもおかしな話である。

2つ目はバッハ自身によるリュート編曲版(ト短調)である(第167小節から)。


わかりやすいようにハ短調に移調してみよう(第166小節から)。


リュート組曲では原曲に無い低音が付加されており、そのため第170小節の頭の音はD(原調ではA )に変えられているが、和音としてはまさしくドッペルドミナントである。
 

もう一つ、それはここの部分が5小節の区切りになっていることである。ここでは第166小節から4小節弾いた後、第170小節を飛ばして第171小節に直接飛び込んでも音楽的にはおかしくない。それをわざわざもう1小節付け足しているのは緊張を高め、次のオルゲルプンクトでその緊張を一気に解放するためである。 つまり第170小節は第169小節の延長、いわば「ダメ押し」であり、同じ和音であるのは当然なのである。

以上の理由により、この音が実音Aであることは疑いの余地がない。

気付いてみれば音楽的に当然の進行なのに、なぜこれまで誰一人として気付かなかったのだろうか?無視された重弦などと違い、これは楽譜が変えられたわけではない。ただどちらの弦のために書かれたのかということを誰も深く考えてみなかっただけのことである。

リュート組曲にしても、ヴェンツィンガー版(1950年)やマルケヴィッチ版(1964年)が取り上げているのだから、その存在がチェリストに知られるようになってすでに60年以上になるのである。 

自己評価 A (5) ★★★★★ G (0)

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2016年1月6日水曜日

第3番ジーグについて


第3組曲のジーグにはいくつか問題の場所がある。

ひとつは第19小節で、ケルナー(C・D資料も同じ)とアンナ・マグダレーナ・バッハ(以下AMB )とで異なっている。

 ケルナー(及びC・D資料):


 AMB:


大方の出版譜はAMBのはミスだと考えてケルナーを採用しているが、フルニエ、トルトゥリエ、ジャンドロンといったフランス系の楽譜はAMBの音形を採用している。

さて、以下は多少屁理屈に聞こえるかもしれないが、ぼくはバッハは最初ケルナーの音形を書いたのだが、これでは


のリズムを3回繰り返すことになり、いささか単調なので、後にAMBの音形に書き換えたのだと考えている。


さらに並行箇所である第57小節以下を見てみると、途中3小節の延長があるものの、AMBとまったく同じリズム(音形は異なる)が見られるのである。


しかも4番目と5番目の音(AとB)を入れ替えると、第19小節のAMBの音形とそっくり同じになるのである(!)。

しかしながらAMBの音形はDの音を繰り返す(19小節の終わりと20小節の初めで)という点がやや不自然に感じられる。バッハがやや不自然でも同じリズムを3回繰り返す単調さを避けたのだと考えるか、やはりAMBの単なるミスだと考えるかは、奏者の判断に任せよう。

自己評価 AMB ★★★☆☆ ケルナー(及びC・D資料)

もうひとつは第105小節だが、これは上の問題よりさらに繊細である。

 ケルナー(及びC・D資料):


 AMB(少し大きめに表示):


これも大方の出版譜はケルナーを採用しているが、19世紀の原典版というべきハウスマン版(1898年)のほか、フルニエ、ヘンレ版などはAMBを採用している。

AMBではよく見ると、最初は2番目の16分音符よりD-C-B-A-Fと書いた後、多分修正ナイフで削り取ってC-B-A-Gに修正している(Fはそのまま)。そして更に念のため小文字で音名を(ドイツ式で)c-h-a-g-f と書いている。

普通に考えればここはジーグ前半の並行箇所、第45小節と同じ形(つまりケルナー)でいいはずである。AMBは修正しなくてもいいDの音までつられて修正してしまい、おまけにごていねいに間違った音名まで書き入れてしまったのではないか(もちろん彼女が書いた音符に対しては正しいわけだが)?

その可能性は無くもない。というのはこれまでAMBの筆写譜を見てきて、彼女が1音符ずつ書き写したのではなく、拍・小節など、ある程度のまとまりごとに記憶して書き写したことは間違いないからである(もちろん音楽の素養がある者ならそれが普通だが)。そのため原稿から筆写譜に視線を移している間に記憶違いが起こるのである。その典型として、第6組曲ジーグの第18小節後半が挙げられる(→ バッハ「無伴奏チェロ組曲」第6番について一番下の項目)。

しかしこの第3番の場合、バッハは最初はジーグ前半と同じ音形を書いたのだが、後により味わいのある形に変えたのだとぼくは想像している。並行箇所といっても同じではない。両者を並べて見よう。


終りの下行、上行の違いはもちろんだが、4小節目が決定的に違う。そのためそれに続く問題の5小節目も同じである必要はなくなる。

つまりバッハは次のように第105小節2つ目からの音を前の小節後半のF-E-Dに結び付け、なだらかに下降する音階に変えたのである。


和声学的に言うと、問題のCは和声構成音ではなく経過音である。Cを和声構成音と考えるとここの和音がCの和音になってしまい(本当の和音はG7の第3転回形)、前の和音(Dm)とのつながりが不自然になるのである。

ケルナーとAMBを比べると、ケルナーはごく普通だが、AMBは曲が終わろうとしている感じがより出ていて趣きがあるとぼくは思うのだが、いかがだろうか?

自己評価 C ★★★★☆ D

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