しかしJanet et Cotelle社は現存しないようだし、出版されてからどのぐらい売れたのか、いつごろまで出版されたのか不明で、この曲の歴史からは忘れられた存在になっていたようである。広く知られるようになったのは、2000年の新ベーレンライター原典版が資料の1つとして復刻してからであろう(また現在では無料楽譜サイトIMSLPで誰でも見られるようになっている)。その点1826年に出版されて以来、20世紀半ばまで使われていたというドッツァウアー版とは好対照である。
そのせいか、この初版譜にはどうにもよくわからないところがある。さまざまな類似性からこの初版譜の元になった資料が18世紀後半の筆写譜であるC資料・D資料と同系統であることは明白だが、そもそもその資料がよくわからないのである。出版社の前書きには次のようにある。
「編集者のことば
全ヨーロッパの著名な作曲家の中で、その名声に最も正当に値するのは、疑いも無くセバスチャン・バッハである。彼のピアノのためのフーガと、ヴァイオリンのための練習曲は常に古典とみなされて来た。近代音楽の主要三楽器のための教程を完成させるために、同じ作曲家はチェロのための特別な練習曲を書いたのである。しかしこの作品は印刷されたことが無く、発見するのさえ困難であった。王室音楽家で王立音楽院首席チェリストのノルブラン氏は、ドイツ中を探し回った末、その忍耐の成果としてついにこの貴重な手稿譜を発見したのである。
この曲集は6つの組曲で構成されており、それぞれの組曲は6つの曲に分けられている。第6組曲のみがチェロの高音域のために、その他は低いネックの音域の練習を目的としているが、低音にこそこの楽器の真の性質があるのであり、またそこにこそより本当の難しさがある。これによってチェロのためのバッハの練習曲は他の作品と同じように古典となるであろうし、この曲集の出版は大きな成功を得るに違いない。これをお知らせするにあたって、我々はこの楽器の愛好家や教師、そして良い音楽とすべての芸術の愛好者たちに奉仕するものと信じている。」
(AVIS DES EDITEURS
Un des compositeurs les plus célèbres dans toute l’Europe, dont la réputation fut le plus justenment méritée, est sans contredit Sébastien BACH. Ses Fugues pour le piano et ses Etudes pour le violon ont toujours été mises au nombre des ouvrages classiques. Dans la vue de completer un cours d’exercices pour les trois principaux instrumens de la music moderne, le même auteur avait composé des Etudes particulières pour le violoncelle; mais cet oeuvre n’a jamais été gravé, il était même difficile de le découvrir. Aprés beaucoup de recherches en Allemagne, M. NORBLIN, de la musique du Roi, premier violoncelle de l’Académie royale de Musique, a enfin recueilli le fruit de sa persévérance, en faisant la découverte de ce précieux manuscrit.
Ce recueil se compose de six suites, dont chacune est divisée en six morceaux. La sixième suite est la seule qui ait pour objet les sons élevés du violoncelle; le reste de l’ouvrage est destiné à exercer le bas du manche; et comme c’est dans les sons graves que consiste le véritable caractère de l’instrument, c’est aussi là que résident les difficultés les plus réelles. Ainsi les Etudes de BACH pour le violoncelle ne seront pas moins classiques que ses autres ouvrages, et la publication de ce recueil ne peut manquer d’obtenir le plus grand succès. En le faisant connaître nous croyons rendre service aux amateurs et professeurs de cet instrument, à tous les amis de la bonne musique, à l’art tout entier.)
この貴重な手稿譜(ce précieux manuscrit)とは一体何であったのか?C資料が発見されたのは1830年なのでまだ知られていなかった。ただD資料は1799年にウイーンで競売にかけられたことで発見されてはいる。しかし前書きには詳しいことは何も書かれていない。いずれにせよ、貴重な筆写譜をフランスに持って帰るわけには行かないから、ノルブランが筆写したのは間違いない。しかしJanet et Cotelle社がなくなったので、その筆写譜、つまりパリ初版譜の原稿は行方不明である。
それはともかく、やはり「無伴奏チェロ組曲」の出版は編集者の自負通り、注目を集めたのだろう。翌年(1825年)には早速ドイツはライプツィッヒのH. A. Probst社からその海賊版が出ている。
(追記)IMSLPにアップされました。
そしてその翌年(1826年)にはいよいよドッツァウアー版がブライトコプフ・ウント・ヘルテル社から出版されるのである。 このドッツァウアー版はProbst版を元に、ケルナーの筆写譜によりさまざまな修正を施して作成されたようである。アンナ・マグダレーナ・バッハの筆写譜は参照されなかったようである。
しかしこの話の流れを疑う人もいる。オーストラリア在住のドイツ人チェリスト、メルテンス氏は、ノルブランはドッツァウアーがチェロ組曲を出版しようとしているのを知って、自分のほうが先に出版したくて、ドイツにドッツァウアーを訪れ、そこでドッツァウアーから筆写譜をもらったか、自分で筆写したのだろうと考えている。そしてパリに戻り大あわてで出版したため、パリ初版譜はミスだらけなのだと。→http://www.georgcello.com/bachcellosuites.htm#prints
ありうる話かもしれない。作曲されてから100年間まったく出版されなかったのに、パリ初版譜とドッツァウアー版とが立て続けに出版されたのが、幾分不自然にも感じられるからである。 ちなみに無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータは1802年にジムロック社から出版されている。
またパリ初版譜がC・D資料と同系列でありながら、ところどころケルナーとの一致を見せているのも不思議なのである。C・D資料もケルナーとの一致を見せることもあるが、それは間接的な関係であるのだが、パリ初版譜とケルナーとの一致はより直接的に思えるのである。それもノルブランがドッツァウアーから写譜させてもらったのだと考えると納得できるわけだが。
いずれにせよぼくとしてはまだ研究を始めたばかりなので、 あまり確かなことは言えない。
(追記/2017年9月)
再び研究を始めたが、パリ初版譜はD資料との共通点が多いように思われる(例えば第1組曲プレリュードの冒頭で4つの16分音符にスラーがかかっているのはD資料の特徴である)。しかしながらところどころC資料との共通点もあり(例えば第1組曲アルマンドの第10小節最後から2番目の音Eが誤ってGになっている)、それらをどう説明したらよいのかさっぱりわからない。謎は深まるばかりである。
(追記/2018年8月18日)
例えば次のような現象をどう説明したらよいのだろうか。
第6組曲、アルマンドの第2小節はAMBでは2拍目と3拍目の低音が無い。これは音楽的に考えて、写し忘れたことは明らかである。他の筆写譜にはすべて音楽的に申し分の無い低音が書かれている。
AMB:
ところがここでケルナーのみ2拍目の低音Bが少し前にずれており、ちょうど1拍目の終わりの16分音符Aの下にあるように書かれている。しかしこれは2拍目の頭にあるべきであることは明白である(BとAとで7度の繋留(サスペンション)を成す)。
ケルナー(独特の16分音符の書き方だが符頭は1拍目のAの下にある):
パリ初版譜:
ドッツァウアー:
ノルブランが全く偶然にケルナーと同じになってしまったということはまずあり得ないだろう。やはりノルブランはドッツァウアーの用意していた原稿から書き写したのだろうか。そしてドッツァウアーはその後も研究を進め、より多くケルナーから取り入れたのであろうか。もちろんまだ結論を出すのは早い。このような疑問点を一つ一つ検討して行かなければならないだろう。