2015年7月30日木曜日

2つのシャープ

 ~画竜点睛~

 

このシャープはバッハの自筆譜の紛失以来250年以上も忘れられていたもので、楽譜として採用したのは横山版が世界最初ではないだろうか? イッキング版やヘンレ版でさえ採用していないのである。

第6組曲、サラバンドの終わりから2小節目(第31小節)の最初の低音はGではなくG#(ト長調版ではC#)である。ケルナーの筆写譜に明確に記されている。

 ケルナー(一番左の小節はアルト記号)


アンナ・マグダレーナ・バッハ(以下AMB)にこのシャープはない


G♯の方が和音としても美しいし(Gだと上の4分音符F#との長7度、ト長調版ではC-Bの長7度、がやや汚く感じられる)、その前の小節からの低音の動きがG-G#-Aと半音階となって自然である。さらにその前、第28-29小節の低音のA-A#-Bという半音階の動きと呼応することにもなる。


おそらくAMBはシャープを書き落としたのだろう。ちょうどここでアルト記号からヘ音記号に変わっており、当時の習慣では音部記号が変わった時も調号を書いていたので、それとゴッチャになっていて紛らわしかったのだろう。つまりバッハの自筆譜ではここに調号のシャープ2つと、Gに付けられた臨時記号のシャープの計3つのシャープが書かれており、AMBにはすべて調号に見えて、素通りしてしまったわけである。

このシャープを疑う人のために(一度弾いてみたら疑う余地などないのだが)、この部分からすべての先取音(anticipation)を取り除き、休符を音で充たした形を示してみよう。1小節と1拍に引き伸ばされた低音のGが大変に不自然なのが容易に分かると思う。


さらに興味深いことは、AMBの筆写譜の子孫であるC資料やD資料がここでそれぞれ独自の判断をしていることである。

 C資料

 D資料

 パリ初版譜(1824年)はAMBのままである。


C、D資料、及びパリ初版譜の資料であるE資料はすべて同じG資料の子孫と考えられるが、そのG資料はAMBのままGを書いていたと思われる。しかしC、D資料の筆写師はそれに不満で、それぞれの解決案を示した。C資料は最もありうる四六の和音を提示しているが、D資料はAとF♯の二つの音を書いており、何を意味するのかやや不明である。AとF♯を一緒に弾くのはチェロとしては不可能ではないにしてもかなり困難であるし、突然低音部にこのような3度音程を持って来るのはあまりに重々しく不自然である。もしかしたら、GではおかしいのでAかF♯のどちらかだろうという筆写師の提案なのかもしれない(ただしF♯だけでは弦を1本飛び越えることになるので演奏困難である)。

E資料の筆写師はG資料をそのまま写したのだろう(パリ初版譜の資料がG資料そのものである可能性ももちろんあるが、それは現在のところ不明)。


このサラバンドは美しさ、清らかさにおいて、6つのチェロ組曲全曲の頂点だと思う。それだけではなく、バッハの書いたすべての音楽の中でも最も美しい曲の一つと言っていい。その締めくくりにおいて、このシャープは何と暖かく魅力的な輝きを放っていることか。

「画竜点睛を欠く」という言葉があるが、このシャープは正に画竜点睛で、これを欠いてはせっかくのこの素晴らしいサラバンドに命が吹き込まれないのである。今後このシャープを忘れるようなことは、決して無いようにしてほしい。


~旧バッハ全集による捏造~


サラバンドに続いて、同じ第6組曲の第1ガヴォットのAMBの筆写譜を見ると、第7小節の1拍目の バス音(E、ト長調版ではA)に、見慣れぬシャープがあることに気づく。やや小振りではあるが、紛れもなくシャープの形をしている。実際にチェロで弾いてみるとなかなか魅力的ではないか(同小節後半のEはこの時代の習慣からE♮である。あるいはバッハは用心のためにナチュラルを書いていたのに、AMBが書き落とした可能性も無くはない)。

 AMB(楽譜はアルト記号で書かれている。なお最後の和音の一番上の音EはC#のミスと考えて間違いないだろう)
 

Naxosから出ているユリウス・ベルガーのように、このシャープを弾いているチェリストもいる(無料試聴できます)http://ml.naxos.jp/album/WER4041-2 が、楽譜ではまだお目にかかったことがない。

ケルナーおよびC資料、D資料ではこの小節は音形も違っており、ケルナーのは1段目の端が見にくいが、第7小節2拍目の頭(3つ目の四分音符)の八分音符がC#ではなくDになっている点がC、D資料と異なる(ケルナーのミスと思われる)。

 ケルナー(2段に分かれているものを合成)


 C資料(D資料、パリ初版譜も同じ)


おそらくバッハはこの部分を後に改訂したのであり、ケルナーは改訂する前のバッハの草稿を筆写し、AMBは改訂したのちの清書楽譜を筆写したのである。AMBの子孫であるC、D資料がケルナーに酷似しているのは、ぼくが仮説としてI資料と呼んでいる、ケルナーとは別にバッハの草稿から写した筆写譜から来ているのだろう。

ところが旧バッハ全集(1879年)が、どこにもないアンナ・マグダレーナからシャープを取り去った音形を捏造して以来、のちの出版譜のほとんどが、それをそのまま採用してしまうという嘆かわしいことになってしまった。そのためこの部分がやや稚拙な感じになってしまったのである。

 旧バッハ全集による捏造


この捏造はヴェンツィンガー版(1950年)などを経て、何と2000年のヘンレ版まで受け継がれているのだから恐ろしい限りである。最近の版や演奏では、C、D資料の音形を用いることも多くなって来た。やはりこの捏造版に何か違和感を持つ人が多いからであろう。しかしAMBの音形を用いた楽譜は横山版のみである。

バッハの草稿の音形では、バスの音が四分音符でE-D-Eと刺繍音で修飾されており、それはそれなりに優雅である。しかしバッハは気に入らず、刺繍音は削って休符とし、バス音をF#-E#-E♮と、半音階進行させることにしたのである。

余談だが、ベー レンライターの新原典版の広告を見ると、たまたまこの部分が見本として掲載されているのだが、信じられないことにこのシャープが無視されているのであ る。この楽譜は4つの筆写譜とパリ初版譜との相違がひと目でわかるようになっているスラーなし楽譜なのだが、わざわざA資料(AMBの筆写譜)と注を書いておきながら、このシャープを無視しているのである。ベー レンライター社のいい加減さには呆れざるを得ない。
http://www.sheetmusicplus.com/title/6-Suites-For-Cello-Solo/2451524

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2015年7月24日金曜日

奇妙な音形


バッハ「無伴奏チェロ組曲」にはC資料、D資料と呼ばれる18世紀後半の筆写譜があるが、それらの第1組曲のプレリュードを見ていると、第27小節の後半に奇妙な音形があるのに気付く。

 C資料


 D資料


パリ初版譜(1824年)も同様。


また2000年に出版された、ウィーン原典版(赤い表紙でおなじみ)もこの音形を採用している。おそらくそれ(と新バッハ全集の2番目の楽譜)だけが例外で、通常はアンナ・マグダレーナ・バッハ(ケルナーも同じ)の音形を採用している(2段に分かれたものを合成)。



この増2度を含んだ音形は実に奇異な印象を与え(ぼくには蛇がのたくっているように感じる)、最初見た時はこれはバッハには関係ないと思った。つまりC、D資料の親資料であるG資料を書いた人あたりが勝手に書き換えたのではないかと思ったのである。

しかしバッハ研究家の富田庸さんによると、これは平均律クラヴィーア曲集について書かれたものだが、

「弟子が学習のために必要な場合には、バッハは初期稿に手を加えては貸し、この浄書譜は約20年もの間、弟子には使わせなかった。そういう知られざる史実が弟子の筆写譜に証拠となって存在する。」
http://www.music.qub.ac.uk/~tomita/essay/wtc1j.html

ということで、チェロ組曲の場合も、バッハが一つのヴァリエーションとして、この奇妙な音形を初期稿に書き加えて筆写師に渡した可能性がある。それに何よりC、D資料にせよ、その親資料であるG資料にせよ、きわめて忠実に筆写しようとしていると思われるので、ここだけバッハによらない音形を書くというのもおかしな話である。

ばくはG資料はアンナ・マグダレーナの筆写譜と、ぼくの仮説上のI資料(記事「バッハへの道」の図を参照)の両者を照らし合わせて作られたと考えているが、そのI資料にこの奇妙な音形があったのではないかと想像している。

結局初めて見た時の感想とは違い、現在ではこの音形はおそらくバッハ自身によるものであるとぼくは考えている。たまに弾いてみるとなかなか面白いのである。

皆さんも一度試してみてはいかが?

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