2015年12月7日月曜日

無視された半小節、追記


第1組曲ジーグの「無視された半小節」は、ぼくが「無伴奏チェロ組曲」の自分の版を作るきっかけであったし、またもっとも反響の大きいものでもあるので(→ブログ本館の旧記事)、ここに説明を追加しようと思う。

ぼくが一番感じるのは「半小節」への偏見である。差別と言い換えてもいいかもしれない。半分の小節なんておかしい、というわけである。これが20世紀以降の音楽だったら誰もそんなことは言わないだろう。だったらどうしてバッハの音楽に半小節があったらおかしいのだろう。誰かそれをちゃんと説明できるだろうか?

「半小節」への差別があまりにも大きいので、アンナ・マグダレーナ・バッハ(以下AMB)の筆写譜に小節線を書き加えて、ジーグ後半のすべての小節を「半小節」にしてみた。つまり8分の6拍子を8分の3拍子にしたのである。これで例の「半小節」も立派な「完全小節」になる(笑)。


実際、第2、第3、第5組曲のジーグは8分の3拍子で書かれている。そして第1、第6組曲のジーグは8分の6拍子、第4組曲のは8分の12拍子である。これには特に音楽的な意味はなく、テンポで決められているといって間違いないだろう。8分の3が一番遅く、8分の12が一番速いわけである。ただ同じ8分の6拍子でも、第6組曲のほうが16分音符が多い分、幾分ゆっくりになるだろう。

さて「半小節」がおかしいという人は、バッハがもし上の図のように8分の3拍子で書いていたとしても、やはり例の小節が余分でおかしい、と言える自信があるだろうか?おそらくないだろうと思う。結局見た目に惑わされているだけなのである。


また強拍と弱拍の混乱は、前記事で述べたように第28小節以降に起こるだけでなく、実はもう少し前にも起こっている。23小節後半と24小節前半で同じ音形が繰り返されているが、そのため23小節と24小節前半とが合わさって、8分の9拍子のように感じられるのである。このことも半小節の必要性の遠因となっている。

楽譜にすると次のようになる。


ただしこれは、8分の9以降がこのように小節割りされるという意味ではなく、このような強拍と弱拍との混乱が潜在的に影響を与えているという意味である。


さらに写譜上の観点から見ると、この半小節がミスである可能性はまずないのである。一つはAMBのこのようなミスが少なくとも 「無伴奏チェロ組曲」には他に無いことである。似たようなものはあり、例えば第6番のプレリュードの第5小節で4拍目を書き落としている。ただし後で修正されているが。


しかしこれは「書き足りない」例であり、1番のジーグのように「書き足されている」のではない。また書き足された例としては3番のジーグ及び5番のジーグにあり、どちらも同じ小節を2度書いている。

 3番ジーグ(上段一番右と下段一番左の小節)


  5番ジーグ(同上)


しかしこれらは筆写譜側で段が変わっている時に起こっており、ミスの原因がはっきりしている。1番のジーグのような段の途中で「書き足される」ミスというのはきわめて考えにくいのである。しかもその音形は直前直後にある音形とは異なっており、最初の2つの8分音符は次の小節の最初の2つと同じで、3つ目の音符は前の小節の最後の音符と同じなのである。果たしてこのような「凝った」ミスをするものだろうか?


バッハが後にこの半小節を書き足した可能性の方が、AMBの筆写ミスの可能性よりもはるかに高いのである。

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2015年8月9日日曜日

無視された7度

 

~200年近くもの放置~


これはぼくの発見ではない。すでにヘンレ版、そしてあまり知られていないバズレール(フランスのチェリスト、1886–1958)の版には書かれている。

しかしそれ以外の多分すべての版では、この7度は無視されて来たのである。これを読んだら直ちに手持ちの楽譜を修正していただきたい。これほどの重要な音が修正されずに200年近くも放置されたままであることに、怒りさえ覚えるのである。

第6組曲、プレリュードの第91小節、最後の音はG(ト長調版ではC)である。Aでは断じてない。

すべての筆写譜がGなのである。

にもかかわらず、パリ初版譜(1824年)が恐らく単なるミス、あるいは校訂者ノルブランの思いつきでAにして以来、その悪習が200年近くも続いているのである。一体その間歴代の校訂者達は何をして来たのか?

 ケルナー(アルト譜表であることに注意):


 アンナ・マグダレーナ・バッハ(以下AMB):


 C資料:

 
 D資料:  


 パリ初版譜によるミス、あるいは改変(ト音記号により、実音より1オクターヴ高く書かれている):


気付かれた方もいるだろうが、ケルナーとC資料では修正した跡がある。つい勢いで前の小節と同じAを書いてしまったのである。ここはミスしやすい場所なのである。しかしそれにしても200年近くも放置するとは何たることか。

ここまで16分音符による目まぐるしいパッセージが続き、調の行方がわからなくなった時、主題がドミナントの調であるイ長調で立ち現れる。これは第12小節と全く同じ形であり、そのままイ長調で同じように続くと見せかけて、その期待をこの大胆なG音が裏切り、強引に本来のニ長調に戻るのである。後の校訂者達のほとんどがこのバッハの意図を理解できなかったのである。

しかしこれほどの美しい、またはっとさせられる7度音を他に知らない。音楽史上最も感動的な7度音と言っても過言ではないだろう。 この7度音(ドミナント7の和音の)は次の小節の2拍目の最後の(1オクターヴ低い)F♯の音に解決される(上のAMBの筆写譜の一番右の音)。

この素晴らしい7度音がこれまでほとんど演奏されて来なかったとは、何と残念なことだろうか。楽譜がそうなっていなかったのだから仕方がないのだが。楽譜校訂者の責任の大きさを痛感させられる。

追記

パリ初版譜の校訂者ノルブランのミスと書いたが、ノルブランが使用した資料(ぼくはE0資料と呼んでいる)がAだった可能性もある。

自己評価
G ★★★★★ A

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2015年8月7日金曜日

無視されたリュート組曲

 

~せっかくの自筆譜なのに~


バッハのリュート組曲ト短調(BWV 995)は「無伴奏チェロ組曲」第5番ハ短調のバッハ自身による編曲であり、これには自筆譜が残っている。
http://imslp.org/wiki/Suite_in_G_minor,_BWV_995_%28Bach,_Johann_Sebastian%29
自筆譜が失われた「無伴奏チェロ組曲」にとって、これはまたとない貴重な資料である、、、





はずなのだが、、





どういうわけか、これが全然活用されていないのである。例えば、

プレリュード193小節、3番目の音はほとんどの出版譜がGになっているが、これは実はA♮なのである。

 ケルナー(最後の音A♮は実音で書かれている):


  リュート組曲:  上段はテナー譜表、下段はバス譜表で書かれている。しかし上段はこのままハ短調で書かれたバス譜表として読める。


 アンナ・マグダレーナ・バッハ(以下AMB/最後の音はスコルダトゥーラ(変則調弦)で書かれていて、実音はA♮):

 
 C資料(D資料も同様):


もし、リュート組曲がなければ、ケルナーとAMB(及びC、D資料)との違いはバッハ自身による改訂の結果という可能性もないではないが、リュート組曲がA♮である以上、AMBのミスと考えて間違いない。それによく見ると、AMBは書き直しているのが分かる。これはGと書いた後、Aと書き直したのだろう。ただその際書き直すことに気を取られてナチュラルを付け忘れたのだと思われる(バッハ自身が書き忘れた可能性も無くはない)。

ただおもしろいことにパリ初版譜(1824年)ではA♮になっている。資料がそうなっていたのか、資料はGだったのに直感で直したのかはわからないが、おそらく小節最後の音がA♮だったので単純にそれに合わせたのだろう。

自己評価 A ★★★★★ G (0)

また、アルマンドの第25小節、2つ目の4分音符に相当する場所のリズムは、ぼくの知る限りすべての出版譜で8分音符1つと16分音符2つになっているが、これはAMBのミス以外の何ものでもない。ケルナーとリュート組曲は共に16分音符2つと8分音符1つのリズムになっている。AMBのリズムではあまりにも野暮ったい。

これもせっかくのリュート組曲が生かされていない例である。またC、D資料がAMBの子孫であることがわかっていないから、なんとなくAMB以外もそうなっているからと、多いほうに傾いてしまった例でもある。

 ケルナー:


 リュート組曲(2段に分かれたものを合成):


 AMB(C、D資料も同様):



注)

これより以下は新しい記事として独立させたので、そちらをご覧下さい。→ 奇妙な和音?

____________________________________

それから次はほとんど許せないレベルであるが、同じ小節の頭の和音について、そのバス音はほとんどの版がB♭になっている。どうしてそうなったのか全く理解不能なのだが、これはすべての筆写譜、そしてリュート組曲もGなのである(AMBの和音の一番上の音はスコルダトゥーラ表記のため、実音はA♭である)。

上のリュート組曲の楽譜をわかりやすいように、ハ短調に移調してみよう。


チェロ版とリュート版と比較すれば一目瞭然だが、チェロ版では弦の数が少ないために和音の音が省略されている。そのために何の和音なのかチェロ版だけではややわかりにくいかもしれないが、これはそんなに難しい和音ではない。
 

上の図で、左の方はトニックの上にドミナント7(いわゆる属7)の和音が乗っかっているありふれた形だが、そのバス音が右のようにトニックの代わりに第3度音になっているだけ なのである。バス音がトニックの場合ほど多くはないが、たまに使われるし、ましてや楽譜の校訂者がこの和音がわからないなんて言語道断である。

ヴェンツィンガーなどは校注で、AMBもケルナーもリュート組曲(つまりバッハ自身!)もみんな間違っていると言ってのけている有様である。これが1950年の時点での無伴奏チェロ組曲研究の状況だったのである。

この和音の使用例として、バッハ自身の他の作品から2つの例を挙げてみよう。

「平均律クラヴィーア曲集」第2巻第3番、嬰ハ長調プレリュード、第11小節の最初の和音。上はわかりやすいようにハ長調に直したもの、下はバッハ自身が書いたこの曲の原型(BWV 872a)である。


「マタイ受難曲」終曲の第11小節冒頭。一瞬ではあるが調も同じで、紛れもない同じ和音である。


最近の出版譜では、イッキング版とヘンレ版はちゃんとGを書いている(もちろん横山版も)。

自己評価 G ★★★★★ B♭ (0)

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2015年8月4日火曜日

早すぎたフラット

 

~段の変わり目は注意~


第4番は多少問題の箇所がある。特にプレリュードの「早すぎたフラット」は全く信じられないことに、カザルス、フルニエ、トルトゥリエ、シュタルケル、ロストロポーヴィチ、ビルスマといった20世紀の大家から最近の名手に至るまで、実に多くのチェリストによって弾かれており、唖然とせざるを得ない。

これはアンナ・マグダレーナ・バッハ(以下AMB)の凡ミスに過ぎないのである。それがなぜこんなに広まってしまったのだろう? 

プレリュード第16小節、2番目の8分音符はAMBの筆写譜ではD♭になっているが、これはまったくの筆写ミスである。なぜなら同じ小節の6番目の音である1オクターブ低いD音には何も付いていないからで、しかも同じ小節といっても、第16小節の後ろ半分は次の段の五線に移っている。つまり次の段を筆写している際、ついうっかり前の第16小節にさかのぼってフラットを付け足してしまったのである。
 
 AMB: 上段、右から3つ目の8分音符が問題のD♭(下段2つ目の低いDに♭が付いていないことに注目)。


 段を変えていないケルナーには当然ながらこのフラットはない。


ここで理解して欲しいのは、筆写譜はバッハの原稿の段まで忠実に写しているわけではないことである。

「無伴奏チェロ組曲」の兄弟曲、「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」には、幸いにもバッハの自筆譜、さらにAMBの筆写譜までが残っているのだが、両者を見比べてみると、バッハのほうが音符を詰めて書いているのがわかる。そのためAMBのほうがだんだんとスペースが足りなくなって、 次の段へと移って行くことが多いのである(逆に追い越している場合もあるが)。

このプレリュードの場合、問題の小節はバッハの自筆譜では恐らく段の最後まで書いていたに違いない。しかしAMBではほんの少しだが、スペースが足りなくなって小節の途中で次の段に移ったのである。そのため原稿と筆写譜との間で視覚的な混乱が生じて、原稿の第17小節にあるフラットを筆写譜の第16小節にまで付けてしまったというわけである。

 バッハの自筆譜(想像図)


できれば上のバッハの自筆譜(想像図)を皆さんもAMBになったつもりで写譜してみてほしい。きっと実感としてAMBのミスが理解できるだろう。

(追記
あるいは次のほうがよりあり得るかもしれない。つまり自筆譜はもう少し詰めて書かれており、3段目は第17小節の前半まで書かれていたのかもしれない。これならばちょうど上段右から3つ目の音にフラットが付くことになる。)


この五線の段を変わった際の間違いとしては、AMBでは他に第3番のジーグと第5番の同じくジーグにあり、どちらの場合も同じ小節を2回書いてしまっている。段が変わった時はミスをしやすいのである。

ケルナーも、第3番のサラバンドを筆写していて、バッハの楽譜のある段を丸々書き落としている。つまりこれはアンナ・マグダレーナの場合とは逆で、自分の方の段ではなく、バッハの原稿の方の段が変わったところでミスをしているのである。これによってバッハの自筆譜が、第13小節から17小節までが一つの段になっていたことがわかる。


ただ、なぜこれが「早すぎたフラット」なのか、言葉で説明するのは少々厄介である。以下は特に関心のある方以外は読み飛ばして構わない。なので小さい文字で書く。

変ホ長調で始まった曲は、上部の音の多少の揺れはあるものの低音のE♭によって、第9小節までは変ホ長調が保たれる。ところが第10小節から低音の下降が始 まり、調の行方がわからなくなる。しかし第13・14小節のF7の和音と第15小節のB♭の和音によって、変ホ長調のドミナントである変ロ長調への転調が確立される。

ところがその安定は長く続かず、第17・18小節のE♭7の和音と第19小節のA♭の和音とによって、変ホ長調のサブドミナントである変イ長調への転調が確立される。わずか4小節の間に変ホ長調のドミナントからサブドミナントへ、5度圏を一気に2段階駆け下りるのである。

この急激な転調が滑らかに行われるには、2つの調の中間の変ホ長調の和音が聞かれなければならない。言い換えるなら、5度圏を一段ずつ降りて行かなければな らないのである。そこで第16小節で低音をA♭に下降させ変ホ長調のドミナント7であるB♭7の和音(の第3転回形)を聞かせ、次の変イ長調のドミナント7であるE♭7の和音とうまくつないだのである。

ところが第16小節において、D♭の音を弾いてしまうと、この和音は変イ長調の第2度音 (変ロ)上の短7の和音(B♭m7)になってしまう。つまり中間の変ホ長調を経ないで、変ロ長調から変イ長調へ5度圏を一段階飛び越えてしまうことになり、転調が滑らかに行われなくなるのである。


つまりせっかくドミナントである変ロ長調に到達したのに、「早すぎたフラット」によって一瞬にしてその安定が根こそぎ覆されてしまうのである。

この曲は左手のポジションと弦がのべつ幕なしに変わるという、チェリストにとって厄介な曲なため、つい弾くことに気を取られてしまうのだろうが、ピアノなど鍵盤楽器で和音を弾いてみれば、このD♭が早過ぎるということは、上のような説明を読まなくてもすぐに分るはずである。ここは第11-12小節、第19-20小節と同様の場所であり、低音だけが経過音的に下降すればいいのである。

ぼくの知る範囲では、この間違ったD♭を書いている楽譜はAMBの他に、C資料、D資料、パリ初版譜、グリュッツマッハー、旧バッハ全集、クレンゲル、ベッカー、ハウスマン、マルキン、アレクザニアン、ガイヤール、マイナルディ、フルニエ、トルトゥリエ、シュタルケルの版である。これらの版をお持ちの方はご注意下さい。また他にもありましたら お知らせ下さい。

20世紀で最も使われたであろう、ヴェンツィンガーのベーレンライター原典版では、はっきりとこのD♭を否定しているのに、どうして未だにはびこっているのだろう?やはりカザルスやフルニエといった人の影響だろうか?

なお2000年に出た3つの原典版(ブライトコプフ、ヘンレ、ウィーン原典版)はすべてD♮になっており、この問題に関しては進歩している。残念なのはこれらの原典版があまり普及していないことである。

またこのフラットは100%確実にAMBによるものであるにもかかわらず、そっくりC、D資料およびパリ初版譜にも記譜されていることから、これらの資料がAMBの筆写譜の子孫であることが証明されるのである。


ところで余談だが、このフラットの少し前、第12小節(上のAMBの筆写譜では上段2小節目)の最後の音を、アーノンクールとウィスペルウェイは共にB♭ではなくCを弾いている。このような音は4つの筆写譜はもちろん、ぼくの知る限りどの出版譜にもない。謎である。もしもそのような楽譜を見つけたらぜひとも知らせて下さい。おそらくアーノンクールの思い付き、あるいは単なるミスを、ウィスペルウェイが本気にしただけだと思われるが。


追記

この記事の元の記事をブログ本館「パリの東から」に掲載してから2年半ほど経つが、最近の新しい録音・録画を聴いてみると、幸いにもD♮で弾かれることが多くなって来た。これはおそらく今頃ヴェンツィンガー版の影響が現われて来たのだとぼくには思われる(あるいはヨーヨー・マの影響?)。

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2015年7月30日木曜日

2つのシャープ

 ~画竜点睛~

 

このシャープはバッハの自筆譜の紛失以来250年以上も忘れられていたもので、楽譜として採用したのは横山版が世界最初ではないだろうか? イッキング版やヘンレ版でさえ採用していないのである。

第6組曲、サラバンドの終わりから2小節目(第31小節)の最初の低音はGではなくG#(ト長調版ではC#)である。ケルナーの筆写譜に明確に記されている。

 ケルナー(一番左の小節はアルト記号)


アンナ・マグダレーナ・バッハ(以下AMB)にこのシャープはない


G♯の方が和音としても美しいし(Gだと上の4分音符F#との長7度、ト長調版ではC-Bの長7度、がやや汚く感じられる)、その前の小節からの低音の動きがG-G#-Aと半音階となって自然である。さらにその前、第28-29小節の低音のA-A#-Bという半音階の動きと呼応することにもなる。


おそらくAMBはシャープを書き落としたのだろう。ちょうどここでアルト記号からヘ音記号に変わっており、当時の習慣では音部記号が変わった時も調号を書いていたので、それとゴッチャになっていて紛らわしかったのだろう。つまりバッハの自筆譜ではここに調号のシャープ2つと、Gに付けられた臨時記号のシャープの計3つのシャープが書かれており、AMBにはすべて調号に見えて、素通りしてしまったわけである。

このシャープを疑う人のために(一度弾いてみたら疑う余地などないのだが)、この部分からすべての先取音(anticipation)を取り除き、休符を音で充たした形を示してみよう。1小節と1拍に引き伸ばされた低音のGが大変に不自然なのが容易に分かると思う。


さらに興味深いことは、AMBの筆写譜の子孫であるC資料やD資料がここでそれぞれ独自の判断をしていることである。

 C資料

 D資料

 パリ初版譜(1824年)はAMBのままである。


C、D資料、及びパリ初版譜の資料であるE資料はすべて同じG資料の子孫と考えられるが、そのG資料はAMBのままGを書いていたと思われる。しかしC、D資料の筆写師はそれに不満で、それぞれの解決案を示した。C資料は最もありうる四六の和音を提示しているが、D資料はAとF♯の二つの音を書いており、何を意味するのかやや不明である。AとF♯を一緒に弾くのはチェロとしては不可能ではないにしてもかなり困難であるし、突然低音部にこのような3度音程を持って来るのはあまりに重々しく不自然である。もしかしたら、GではおかしいのでAかF♯のどちらかだろうという筆写師の提案なのかもしれない(ただしF♯だけでは弦を1本飛び越えることになるので演奏困難である)。

E資料の筆写師はG資料をそのまま写したのだろう(パリ初版譜の資料がG資料そのものである可能性ももちろんあるが、それは現在のところ不明)。


このサラバンドは美しさ、清らかさにおいて、6つのチェロ組曲全曲の頂点だと思う。それだけではなく、バッハの書いたすべての音楽の中でも最も美しい曲の一つと言っていい。その締めくくりにおいて、このシャープは何と暖かく魅力的な輝きを放っていることか。

「画竜点睛を欠く」という言葉があるが、このシャープは正に画竜点睛で、これを欠いてはせっかくのこの素晴らしいサラバンドに命が吹き込まれないのである。今後このシャープを忘れるようなことは、決して無いようにしてほしい。


~旧バッハ全集による捏造~


サラバンドに続いて、同じ第6組曲の第1ガヴォットのAMBの筆写譜を見ると、第7小節の1拍目の バス音(E、ト長調版ではA)に、見慣れぬシャープがあることに気づく。やや小振りではあるが、紛れもなくシャープの形をしている。実際にチェロで弾いてみるとなかなか魅力的ではないか(同小節後半のEはこの時代の習慣からE♮である。あるいはバッハは用心のためにナチュラルを書いていたのに、AMBが書き落とした可能性も無くはない)。

 AMB(楽譜はアルト記号で書かれている。なお最後の和音の一番上の音EはC#のミスと考えて間違いないだろう)
 

Naxosから出ているユリウス・ベルガーのように、このシャープを弾いているチェリストもいる(無料試聴できます)http://ml.naxos.jp/album/WER4041-2 が、楽譜ではまだお目にかかったことがない。

ケルナーおよびC資料、D資料ではこの小節は音形も違っており、ケルナーのは1段目の端が見にくいが、第7小節2拍目の頭(3つ目の四分音符)の八分音符がC#ではなくDになっている点がC、D資料と異なる(ケルナーのミスと思われる)。

 ケルナー(2段に分かれているものを合成)


 C資料(D資料、パリ初版譜も同じ)


おそらくバッハはこの部分を後に改訂したのであり、ケルナーは改訂する前のバッハの草稿を筆写し、AMBは改訂したのちの清書楽譜を筆写したのである。AMBの子孫であるC、D資料がケルナーに酷似しているのは、ぼくが仮説としてI資料と呼んでいる、ケルナーとは別にバッハの草稿から写した筆写譜から来ているのだろう。

ところが旧バッハ全集(1879年)が、どこにもないアンナ・マグダレーナからシャープを取り去った音形を捏造して以来、のちの出版譜のほとんどが、それをそのまま採用してしまうという嘆かわしいことになってしまった。そのためこの部分がやや稚拙な感じになってしまったのである。

 旧バッハ全集による捏造


この捏造はヴェンツィンガー版(1950年)などを経て、何と2000年のヘンレ版まで受け継がれているのだから恐ろしい限りである。最近の版や演奏では、C、D資料の音形を用いることも多くなって来た。やはりこの捏造版に何か違和感を持つ人が多いからであろう。しかしAMBの音形を用いた楽譜は横山版のみである。

バッハの草稿の音形では、バスの音が四分音符でE-D-Eと刺繍音で修飾されており、それはそれなりに優雅である。しかしバッハは気に入らず、刺繍音は削って休符とし、バス音をF#-E#-E♮と、半音階進行させることにしたのである。

余談だが、ベー レンライターの新原典版の広告を見ると、たまたまこの部分が見本として掲載されているのだが、信じられないことにこのシャープが無視されているのであ る。この楽譜は4つの筆写譜とパリ初版譜との相違がひと目でわかるようになっているスラーなし楽譜なのだが、わざわざA資料(AMBの筆写譜)と注を書いておきながら、このシャープを無視しているのである。ベー レンライター社のいい加減さには呆れざるを得ない。
http://www.sheetmusicplus.com/title/6-Suites-For-Cello-Solo/2451524

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2015年7月24日金曜日

奇妙な音形


バッハ「無伴奏チェロ組曲」にはC資料、D資料と呼ばれる18世紀後半の筆写譜があるが、それらの第1組曲のプレリュードを見ていると、第27小節の後半に奇妙な音形があるのに気付く。

 C資料


 D資料


パリ初版譜(1824年)も同様。


また2000年に出版された、ウィーン原典版(赤い表紙でおなじみ)もこの音形を採用している。おそらくそれ(と新バッハ全集の2番目の楽譜)だけが例外で、通常はアンナ・マグダレーナ・バッハ(ケルナーも同じ)の音形を採用している(2段に分かれたものを合成)。



この増2度を含んだ音形は実に奇異な印象を与え(ぼくには蛇がのたくっているように感じる)、最初見た時はこれはバッハには関係ないと思った。つまりC、D資料の親資料であるG資料を書いた人あたりが勝手に書き換えたのではないかと思ったのである。

しかしバッハ研究家の富田庸さんによると、これは平均律クラヴィーア曲集について書かれたものだが、

「弟子が学習のために必要な場合には、バッハは初期稿に手を加えては貸し、この浄書譜は約20年もの間、弟子には使わせなかった。そういう知られざる史実が弟子の筆写譜に証拠となって存在する。」
http://www.music.qub.ac.uk/~tomita/essay/wtc1j.html

ということで、チェロ組曲の場合も、バッハが一つのヴァリエーションとして、この奇妙な音形を初期稿に書き加えて筆写師に渡した可能性がある。それに何よりC、D資料にせよ、その親資料であるG資料にせよ、きわめて忠実に筆写しようとしていると思われるので、ここだけバッハによらない音形を書くというのもおかしな話である。

ばくはG資料はアンナ・マグダレーナの筆写譜と、ぼくの仮説上のI資料(記事「バッハへの道」の図を参照)の両者を照らし合わせて作られたと考えているが、そのI資料にこの奇妙な音形があったのではないかと想像している。

結局初めて見た時の感想とは違い、現在ではこの音形はおそらくバッハ自身によるものであるとぼくは考えている。たまに弾いてみるとなかなか面白いのである。

皆さんも一度試してみてはいかが?

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