はじめに

2010年よりバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜を作成し始め、その過程で気付いたことをブログ「パリの東から」に掲載して来たが、記事の数が増えすぎてしまったので独立したブログを作ることにした。 しかしすべての記事を移すには、修正したいことも多々あるためまだまだ時間がかかりそうなので、「パリの東から」の記事もあわせて読んでいただきたい。

こちらに全記事へのリンクがあります。
バッハ「無伴奏チェロ組曲」まとめ

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19世紀にはほとんど練習曲としてしか考えられていなかったバッハの「無伴奏チェロ組曲」は、スペインのチェリスト、カザルス(1876 - 1973)の演奏によってその真価が知られるようになって以来、数あるバッハの作品の中でもトップクラスの人気のある曲に成長して来た。

しかしこの曲の楽譜の研究は遅れていて、間違いだらけの楽譜がいまだに数多く出回っている。人気度と楽譜の出来具合にこれほどの落差がある曲は珍しいのではないだろうか?

その最大の原因は、もちろんバッハの自筆譜が失われてしまったことである。我々に残されているのはバッハの妻アンナ・マグダレーナによる筆写譜、オルガニスト、ヨハン・ペーター・ケルナーによる筆写譜、それに18世紀後半(つまりバッハの死後)の2つの写譜、それからバッハ自身による第5番のリュート用編曲の自筆譜である。

しかしそれだけでなく、残念なことに従来の出版譜はこれらの資料を十分に駆使して作られて来なかったのである。

ぼくは、何年前のことになるのかよく覚えていないが、アンナ・マグダレーナ・バッハによる筆写譜を見ていて、第1番のジーグに見慣れぬ半小節があることに気がついた。このジーグは8分の6拍子なのに、その小節だけ8分の3拍子なのである。

ありとあらゆる出版譜が、これはアンナ・マグダレーナの筆写ミスだとして、この半小節を無視していた。 ぼくは、その時すぐにというわけではないが、のちにこの半小節を弾いてみたのである。即座にこの半小節がバッハ自身が書いたものだと感じた。なぜなら、このジーグが充実するし、さらに第1組曲全体が満足に終わることができるからである。

それ以来、この曲のすべての出版譜に対して不信感を持つようになり、自分自身の版を作ることを決心したのである。


幸いにも2000年にベーレンライター社が、現存する4つの筆写譜とこの曲の最初の印刷楽譜(パリ初版譜)の白黒版のファクシミリを出版し、誰でもすべての資料を参照できるようになったばかりではなく、バッハ・デジタルIMSLPなどのサイトによって、最新のカラー写真版のファクシミリもインターネットで自由に利用できるようになった。

それらの資料を駆使して2010年から始めた楽譜作成は、2013年にスラーなし版の完成を見た。タイを除くスラーをつけなかったのは、音の問題に集中したかったからである。スラーを決めるのは途方も無く困難な作業であり、二兎を追って一兎をも得ないことになるのを避けたのである。

結果は大成功であった。バッハが書いたに間違いないのに、これまでの出版譜が見逃していた多くの音を救い出すことができたのである。

横山版にはどの資料にも無い音は一音も無い。ところが従来の出版譜にはどの資料にも無い音が校訂者の独断でいくつか紛れ込んでいるのである。信じがたいことではあるが。

また各資料の系統について、C資料及びD資料と呼ばれる18世紀後半の筆写譜がアンナ・マグダレーナの筆写譜の子孫であることはあまりに明白であるのに、従来の研究ではそのことに全く気付いていなかった。これは、なぜ分からないのかさっぱり分からないほど簡単なことである。なぜならアンナ・マグダレーナによると考えられるミスを、17ヶ所もC・D資料が引き継いでいるからである。



またケルナーによる筆写譜には、第5組曲のサラバンド及びジーグの第10小節以降が欠けているが、これについてもこれまでは、まるでケルナーがズボラしたかのような馬鹿げたことが言われて来た。しかし実は、おそらくケルナーはバッハの草稿から筆写したのであり、それにはこれらが欠けていただけのことであろう。アンナ・マグダレーナがバッハの清書楽譜から筆写したことは間違いない。

しかしこのことは大変興味深い。なぜなら第5組曲のこの特異なサラバンドを、バッハはこのチェロ組曲全6曲の最後に書いたことを意味するからである。

2014年9月16日(火)、サン・モール・デ・フォッセ(フランス)、横山真一郎


自己評価というものを試みに始めてみた。まだ一部の記事だけだが、記事(あるいは項目)の終わりに、  星印でそれぞれの音の可能性を示した。



G ★★★★★ F 議論の余地なくGの音であり、Fの可能性は全くない。
G ★★★★☆ F おそらくGであるが、Fの可能性も少しある。
G ★★★☆☆ F どちらかと言うとGだが、Fの可能性も多分にある。

と言ったところである。 理解の助けになれば幸いである。

2017年3月11日(土)