第3組曲のジーグにはいくつか問題の場所がある。
ひとつは第19小節で、ケルナー(C・D資料も同じ)とアンナ・マグダレーナ・バッハ(以下AMB )とで異なっている。
ケルナー(及びC・D資料):
AMB:
大方の出版譜はAMBのはミスだと考えてケルナーを採用しているが、フルニエ、トルトゥリエ、ジャンドロンといったフランス系の楽譜はAMBの音形を採用している。
さて、以下は多少屁理屈に聞こえるかもしれないが、ぼくはバッハは最初ケルナーの音形を書いたのだが、これでは
のリズムを3回繰り返すことになり、いささか単調なので、後にAMBの音形に書き換えたのだと考えている。
しかも4番目と5番目の音(AとB)を入れ替えると、第19小節のAMBの音形とそっくり同じになるのである(!)。
しかしながらAMBの音形はDの音を繰り返す(19小節の終わりと20小節の初めで)という点がやや不自然に感じられる。バッハがやや不自然でも同じリズムを3回繰り返す単調さを避けたのだと考えるか、やはりAMBの単なるミスだと考えるかは、奏者の判断に任せよう。
自己評価 AMB ★★★☆☆ ケルナー(及びC・D資料)
もうひとつは第105小節だが、これは上の問題よりさらに繊細である。
ケルナー(及びC・D資料):
AMB(少し大きめに表示):
これも大方の出版譜はケルナーを採用しているが、19世紀の原典版というべきハウスマン版(1898年)のほか、フルニエ、ヘンレ版などはAMBを採用している。
AMBではよく見ると、最初は2番目の16分音符よりD-C-B-A-Fと書いた後、多分修正ナイフで削り取ってC-B-A-Gに修正している(Fはそのまま)。そして更に念のため小文字で音名を(ドイツ式で)c-h-a-g-f と書いている。
普通に考えればここはジーグ前半の並行箇所、第45小節と同じ形(つまりケルナー)でいいはずである。AMBは修正しなくてもいいDの音までつられて修正してしまい、おまけにごていねいに間違った音名まで書き入れてしまったのではないか(もちろん彼女が書いた音符に対しては正しいわけだが)?
その可能性は無くもない。というのはこれまでAMBの筆写譜を見てきて、彼女が1音符ずつ書き写したのではなく、拍・小節など、ある程度のまとまりごとに記憶して書き写したことは間違いないからである(もちろん音楽の素養がある者ならそれが普通だが)。そのため原稿から筆写譜に視線を移している間に記憶違いが起こるのである。その典型として、第6組曲ジーグの第18小節後半が挙げられる(→ バッハ「無伴奏チェロ組曲」第6番について一番下の項目)。
しかしこの第3番の場合、バッハは最初はジーグ前半と同じ音形を書いたのだが、後により味わいのある形に変えたのだとぼくは想像している。並行箇所といっても同じではない。両者を並べて見よう。
終りの下行、上行の違いはもちろんだが、4小節目が決定的に違う。そのためそれに続く問題の5小節目も同じである必要はなくなる。
つまりバッハは次のように第105小節2つ目からの音を前の小節後半のF-E-Dに結び付け、なだらかに下降する音階に変えたのである。
和声学的に言うと、問題のCは和声構成音ではなく経過音である。Cを和声構成音と考えるとここの和音がCの和音になってしまい(本当の和音はG7の第3転回形)、前の和音(Dm)とのつながりが不自然になるのである。
ケルナーとAMBを比べると、ケルナーはごく普通だが、AMBは曲が終わろうとしている感じがより出ていて趣きがあるとぼくは思うのだが、いかがだろうか?
自己評価 C ★★★★☆ D
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